盛唐26ー儲光羲
洛陽道五首 洛陽道 五首
献呂四郎中 其三 呂四郎中に献ず 其の三
大道直如髪 大道(だいどう) 直(なお)きこと髪の如く
春日佳気多 春日(しゅんじつ) 佳気(かき)多し
五陵貴公子 五陵(ごりょう)の貴公子(きこうし)
双双鳴玉珂 双双(そうそう) 玉珂(ぎょうか)を鳴らす
⊂訳⊃
都大路は 髪の毛のように真っ直ぐで
春の日は めでたい気分に満ちている
五陵の街の貴公子たちは
馬を並べ 玉珂を鳴らして駆けていく
⊂ものがたり⊃ 儲光羲(ちょこうぎ:700?ー768)は兗州(山東省西部)の人、一説に閏州(江蘇省鎮江市)の人ともいいます。玄宗封禅の儀の翌年、崔国輔と同じ開元十四年(726)に二十七歳くらいで進士に及第しました。
詩題の「洛陽道」は楽府題で、必ずしも洛陽を意味しません。「呂四郎中」(りょしろうちゅう)は尚書省礼部の主客郎中呂尚(りょしょう)のことと言われています。漢代の皇帝陵「五陵」には陵邑が置かれ、高官や富者の住地でした。そこから出世を約束された貴門の地という語感が生まれ、貴公子の枕詞のように用いられます。
「双双」は二人ならんで。「玉珂」は馬の轡につける玉飾りのことで、馬が走れば澄んだ音を立てます。開元盛時の長安の華やかさを五言四句で描いて見事です。中国語で吟唱する場合の心地よさも想像されます。
洛陽道五首 洛陽道 五首
献呂四郎中 其三 呂四郎中に献ず 其の三
大道直如髪 大道(だいどう) 直(なお)きこと髪の如く
春日佳気多 春日(しゅんじつ) 佳気(かき)多し
五陵貴公子 五陵(ごりょう)の貴公子(きこうし)
双双鳴玉珂 双双(そうそう) 玉珂(ぎょうか)を鳴らす
⊂訳⊃
都大路は 髪の毛のように真っ直ぐで
春の日は めでたい気分に満ちている
五陵の街の貴公子たちは
馬を並べ 玉珂を鳴らして駆けていく
⊂ものがたり⊃ 儲光羲(ちょこうぎ:700?ー768)は兗州(山東省西部)の人、一説に閏州(江蘇省鎮江市)の人ともいいます。玄宗封禅の儀の翌年、崔国輔と同じ開元十四年(726)に二十七歳くらいで進士に及第しました。
詩題の「洛陽道」は楽府題で、必ずしも洛陽を意味しません。「呂四郎中」(りょしろうちゅう)は尚書省礼部の主客郎中呂尚(りょしょう)のことと言われています。漢代の皇帝陵「五陵」には陵邑が置かれ、高官や富者の住地でした。そこから出世を約束された貴門の地という語感が生まれ、貴公子の枕詞のように用いられます。
「双双」は二人ならんで。「玉珂」は馬の轡につける玉飾りのことで、馬が走れば澄んだ音を立てます。開元盛時の長安の華やかさを五言四句で描いて見事です。中国語で吟唱する場合の心地よさも想像されます。