盛唐16ー王翰
涼州詞 其一 涼州の詞 其の一
葡萄美酒夜光杯 葡萄(ぶどう)の美酒(びしゅ) 夜光(やこう)の杯(はい)
欲飲琵琶馬上催 飲まんと欲すれば 琵琶(びわ) 馬上に催(もよお)す
酔臥沙場君莫笑 酔うて沙場(さじょう)に臥(ふ)す 君 笑うこと莫(なか)れ
古来征戦幾人囘 古来(こらい) 征戦 幾人(いくにん)か回(かえ)る
⊂訳⊃
夜光の杯に葡萄の美酒
飲もうとすれば 馬上で始まる琵琶の曲
沙上に酔い潰れても 笑わないでくれ
古来 遠征の戦から 無事に帰った者は幾人もいない
⊂ものがたり⊃ 玄宗の時代は「開元の治」と称されます。唐の文華が最盛期を迎えた時代です。盛唐を代表する詩人といえば、王維・李白・杜甫であり、唐代のみならず中国を代表する詩人です。しかし、開元元年(713)に王維は十五歳、李白は十三歳、杜甫は二歳でした。詩人として登場するのは後のことです。
ただし、この三人の詩人については、別途、個人の伝記としてブログに掲げていますので、つぎの「ティェンタオの自由訳漢詩」を参照してください。
王 維 (平成20年11月13日 NO.131ー21年 3月12日 NO.249)
李 白 (平成21年 3月20日 NO.250ー同年10月23日 NO.467)
杜 甫 (平成21年11月 1日 NO.468ー22年 8月 5日 NO.745)
王翰(おうかん:687?ー726?)は并州晋陽(山西省太原市)の人。玄宗即位の前年、睿宗の景雲二年(711)に二十五歳くらいで進士に及第し、張説に認められて駕部員外郎に任じられます。張説の失脚にともなって左遷されますが、西域に遠征したという記録はありません。開元十四年(726)ころに四十歳くらいの若さで亡くなりました。
詩題の「涼州詞」(りょうしゅうし)は西方から伝わってきた新曲の名で、その曲に詩をつけたものです。葡萄酒は新しい飲み物で、涼州産は高級品でした。「夜光杯」は西域渡来のガラス杯とも玉杯とも言われ、最先端のモダンな道具立てで詩を盛り上げています。
前半二句で戦陣での宴会の場を設定し、後半二句で戦場の不安を訴えます。王翰自身もかなりの酒飲みであったようです。辺塞詩の傑作としてはなはだ有名ですが、宴会の場などで披露された想像の作品でしょう。
涼州詞 其一 涼州の詞 其の一
葡萄美酒夜光杯 葡萄(ぶどう)の美酒(びしゅ) 夜光(やこう)の杯(はい)
欲飲琵琶馬上催 飲まんと欲すれば 琵琶(びわ) 馬上に催(もよお)す
酔臥沙場君莫笑 酔うて沙場(さじょう)に臥(ふ)す 君 笑うこと莫(なか)れ
古来征戦幾人囘 古来(こらい) 征戦 幾人(いくにん)か回(かえ)る
⊂訳⊃
夜光の杯に葡萄の美酒
飲もうとすれば 馬上で始まる琵琶の曲
沙上に酔い潰れても 笑わないでくれ
古来 遠征の戦から 無事に帰った者は幾人もいない
⊂ものがたり⊃ 玄宗の時代は「開元の治」と称されます。唐の文華が最盛期を迎えた時代です。盛唐を代表する詩人といえば、王維・李白・杜甫であり、唐代のみならず中国を代表する詩人です。しかし、開元元年(713)に王維は十五歳、李白は十三歳、杜甫は二歳でした。詩人として登場するのは後のことです。
ただし、この三人の詩人については、別途、個人の伝記としてブログに掲げていますので、つぎの「ティェンタオの自由訳漢詩」を参照してください。
王 維 (平成20年11月13日 NO.131ー21年 3月12日 NO.249)
李 白 (平成21年 3月20日 NO.250ー同年10月23日 NO.467)
杜 甫 (平成21年11月 1日 NO.468ー22年 8月 5日 NO.745)
王翰(おうかん:687?ー726?)は并州晋陽(山西省太原市)の人。玄宗即位の前年、睿宗の景雲二年(711)に二十五歳くらいで進士に及第し、張説に認められて駕部員外郎に任じられます。張説の失脚にともなって左遷されますが、西域に遠征したという記録はありません。開元十四年(726)ころに四十歳くらいの若さで亡くなりました。
詩題の「涼州詞」(りょうしゅうし)は西方から伝わってきた新曲の名で、その曲に詩をつけたものです。葡萄酒は新しい飲み物で、涼州産は高級品でした。「夜光杯」は西域渡来のガラス杯とも玉杯とも言われ、最先端のモダンな道具立てで詩を盛り上げています。
前半二句で戦陣での宴会の場を設定し、後半二句で戦場の不安を訴えます。王翰自身もかなりの酒飲みであったようです。辺塞詩の傑作としてはなはだ有名ですが、宴会の場などで披露された想像の作品でしょう。