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ティェンタオの自由訳漢詩 1920

 盛唐14ー張九齢
   感遇十二首 其四     感遇 十二首  其の四

  孤鴻海上来     孤鴻(ここう)  海上より来たり
  池潢不敢顧     池潢(ちこう)  敢(あえ)て顧(かえり)みず
  側見双翠鳥     側(かたわら)に見る  双翠鳥(そうすいちょう)の
  巣在三珠樹     巣くうて三珠樹(さんしゅじゅ)に在るを
  矯矯珍木巓     矯矯(きょうきょう)たる珍木(ちんぼく)の巓(いただき)
  得無金丸懼     金丸(きんがん)の懼(おそ)れ無きを得んや
  美服患人指     美服(びふく)は人の指ささんことを患(うれ)え
  高明逼神悪     高明(こうめい)は神の悪(にく)みに逼(せま)る
  今我遊冥冥     今  我(わ)れ冥冥(めいめい)に遊ぶ
  弋者何所慕     弋者(よくしゃ)  何の慕(した)う所ぞ

  ⊂訳⊃
          一羽の大鳥が  海のほとりから飛んできた
          池や水溜りは  振り向こうともしない
          視線の端に   三珠樹が見え
          番いの翡翠が  巣をかけている
          高く伸びた     珍木の梢は
          矢玉の的の   恐れがないとは言えないだろう
          美しい服は    うしろ指が心配で
          立派な建物は  神さまから憎まれそうだ
          いまわたしは   遥かな空に飛び立っていく
          猟師たちは    どうしてそれを追いかけられようか


 ⊂ものがたり⊃ 張九齢(978ー740)は韶州曲江(広東省韶関市)の人。幼いころから文章に勝れ、張説が欽州に流されたときに詩才を認められました。武后の長安二年(702)に二十五歳で進士に及第、左拾遺になります。 
 玄宗時代に左補闕、司勲員外郎、中書舎人などを歴任し、張説の腹心として活躍します。そのころ多くの応制、贈答の詩を作っています。開元十八年(730)に張説が亡くなると、玄宗は張九齢を秘書少監に任じ、二十一年(733)には中書侍郎・同中書門下平章事(宰相)に任じます。翌年に中書令、二十三年には始興県伯に封じられますが、そのころ台頭してきた李林甫(りりんぽ)と対立し、二十五年(737)に荊州(湖北省江陵県)長史に左遷されます。
 詩は李林甫と対立し、中央から追われることが確定的になったころの作品で、身近な人との宴会の席で披露したものでしょう。四、四、二句に分けて読むことができ、自分自身を「孤鴻」に喩えています。
 はじめの四句は、広い海から飛んできた誇り高い鳥の自分はちっぽけな「池潢」(池や水溜り)には関心がなかったが、「双翠鳥」が「三珠樹」に巣をかけているのを目にとめたといいます。双翠鳥は政敵の李林甫と牛仙客(ぎゅうせんきゃく)のことです。
 つぎの四句では政敵たちの価値観や生き方に疑問を投げかけます。「珍木」は三珠樹のことで仙人の世界にある木、「高明」は高くて明るい建物のことです。結びの二句で、これから自分は遥かな大空に飛び立っていくと決意を述べます。
 張九齢から李林甫への政権移行は、武后時代に始まった寒門出身者の登用、開元の初政以来つづいてきた姚崇・宋?・張説・張九齢など進士及第者の高官への登用が終わりを告げ、門閥出身者が政事を牛耳る時代になる折れ目の出来事でした。        

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