盛唐11ー張説
幽州新歳作 幽州新歳の作
去歳荊南梅似雪 去歳(きょさい) 荊南(けいなん) 梅 雪に似たり
今年薊北雪如梅 今年(こんねん) 薊北(けいほく) 雪 梅の如し
共知人事何嘗定 共に知る 人事は何ぞ嘗(かつ)て定まらん
且喜年華去復来 且(しばら)く喜ぶ 年華(ねんか)の去って復(ま)た来たるを
辺鎮戍歌連夜動 辺鎮(へんちん)の戍歌(じゅか) 夜を連(つら)ねて動き
京城燎火徹明開 京城(けいじょう)の燎火(りょうか) 明(めい)に徹(てつ)して開く
遥遥西向長安日 遥遥(ようよう)として西のかた長安の日に向かい
願上南山寿一杯 願わくは上(たてまつ)らん 南山の寿一杯(じゅいっぱい)
⊂訳⊃
去年の春は江南 梅の花が雪のように咲いていた
今年の春は幽州 雪は梅花のように降りしきる
人の世は 定めがたいと知っていたが
春がふたたび もどって来たのは嬉しいことだ
辺境の城では 夜ごとに軍歌がわき起こり
都のお城では 夜を徹して篝火が燃えているだろう
西方はるか 長安の空に向かい
一杯の酒を奉り 聖寿の万歳をお祈りしょう
⊂ものがたり⊃ 詩題に「新歳の作」とありますので、幽州に赴任した翌年の新春の作です。「荊南」は湖南をさしますが、左遷されていた岳州のことですので、広く江南としました。「薊北」は幽州をさし、まず両者の春の相違を描きます。
中四句は辺地で春を迎えた感懐です。「年華」は春の季節、新年を迎えた喜びを詠います。加えて幽州の城と都長安の新春のようすを描きます。結び二句の「長安の日」は晋の明帝が幼児のころ太陽よりも長安の方が遠いと言った故事を踏まえており、遥かな長安に目を向けます。
「南山の寿一杯」は長安の南にある終南山が変わらぬ姿を保っているように、天子の寿命が永遠であることを祈って乾杯をすることです。詩は新年の祝宴で披露された奉祝歌と思われます。
このあと張説は都にもどって中書令に返り咲き、開元九年(721)には宰相になります。開元十三年(725)に張説の発議で玄宗皇帝の封禅の儀が行われ、鳳輦は泰山に至りました。張説の威光が一世を風靡したのはこのころでしょう。
最後は宦官高力士の権勢が強まった開元十八年(730)に、右丞相(従二品)・集賢学士で亡くなります。享年は六十四歳です。
幽州新歳作 幽州新歳の作
去歳荊南梅似雪 去歳(きょさい) 荊南(けいなん) 梅 雪に似たり
今年薊北雪如梅 今年(こんねん) 薊北(けいほく) 雪 梅の如し
共知人事何嘗定 共に知る 人事は何ぞ嘗(かつ)て定まらん
且喜年華去復来 且(しばら)く喜ぶ 年華(ねんか)の去って復(ま)た来たるを
辺鎮戍歌連夜動 辺鎮(へんちん)の戍歌(じゅか) 夜を連(つら)ねて動き
京城燎火徹明開 京城(けいじょう)の燎火(りょうか) 明(めい)に徹(てつ)して開く
遥遥西向長安日 遥遥(ようよう)として西のかた長安の日に向かい
願上南山寿一杯 願わくは上(たてまつ)らん 南山の寿一杯(じゅいっぱい)
⊂訳⊃
去年の春は江南 梅の花が雪のように咲いていた
今年の春は幽州 雪は梅花のように降りしきる
人の世は 定めがたいと知っていたが
春がふたたび もどって来たのは嬉しいことだ
辺境の城では 夜ごとに軍歌がわき起こり
都のお城では 夜を徹して篝火が燃えているだろう
西方はるか 長安の空に向かい
一杯の酒を奉り 聖寿の万歳をお祈りしょう
⊂ものがたり⊃ 詩題に「新歳の作」とありますので、幽州に赴任した翌年の新春の作です。「荊南」は湖南をさしますが、左遷されていた岳州のことですので、広く江南としました。「薊北」は幽州をさし、まず両者の春の相違を描きます。
中四句は辺地で春を迎えた感懐です。「年華」は春の季節、新年を迎えた喜びを詠います。加えて幽州の城と都長安の新春のようすを描きます。結び二句の「長安の日」は晋の明帝が幼児のころ太陽よりも長安の方が遠いと言った故事を踏まえており、遥かな長安に目を向けます。
「南山の寿一杯」は長安の南にある終南山が変わらぬ姿を保っているように、天子の寿命が永遠であることを祈って乾杯をすることです。詩は新年の祝宴で披露された奉祝歌と思われます。
このあと張説は都にもどって中書令に返り咲き、開元九年(721)には宰相になります。開元十三年(725)に張説の発議で玄宗皇帝の封禅の儀が行われ、鳳輦は泰山に至りました。張説の威光が一世を風靡したのはこのころでしょう。
最後は宦官高力士の権勢が強まった開元十八年(730)に、右丞相(従二品)・集賢学士で亡くなります。享年は六十四歳です。