盛唐8ー張説
還至端州駅前 還りて端州駅に至る 前に
与高六別処 高六と別れし処なり
旧館分江口 旧館(きゅうかん) 分江(ぶんこう)の口(ほとり)
凄然望落暉 凄然(せいぜん)として落暉(らくき)を望む
相逢伝旅食 相逢(あいあ)うて旅食(りょしょく)を伝え
臨別換征衣 別れに臨んでは征衣(せいい)を換(か)えたり
昔記山川是 昔は記す 山川(さんせん)の是(ぜ)なるを
今傷人代非 今は傷む 人代(じんだい)の非(ひ)なるを
往来皆此路 往来 皆 此の路(みち)なるに
生死不同帰 生死 帰るを同(とも)にせず
⊂訳⊃
駅舎は今も 川筋の分かれる岸にあり
悲しい思いで 沈む夕日を眺める
旅で出会って 食事を分け合い
別れに際して 旅の衣を交換した
むかし見た 山も川も変わらぬが
人の世の 移り変わりに心は痛む
行きも帰りも 同じ路を通るのに
生死は変じて 帰りを共にできないとは
⊂ものがたり⊃ 詩題の「端州」(広東省高要県)は広州の西にある宿駅です。武后の長安三年(703)、宰相の魏元忠(ぎげんちゅう)と高戩(こうせん)が張易之兄弟に誣告されました。そのとき張説は二人を弁護したため、欽州(江西壮族自治区欽県)に流されます。
詩題の「高六」は高戩のことで、高戩の配所は不明ですが、二人は流謫の旅の途中で出会い、端州まで旅を共にしたのでしょう。端州駅で別れ、張説は西へ高戩は南の配所に向かいました。
神龍元年(705)の政変で張兄弟が誅されると、張説は赦されて都にもどることになりますが、高戩はすでに配所で亡くなっていました。詩は帰途、端州駅まで来たとき、高戩(高六)を偲んで作ったものです。端州は西江のほとりにあり、「分江口」は川筋の分かれるところを意味します。「征衣を換えたり」はお互いの無事を祈って旅の衣を交換するのです。
還至端州駅前 還りて端州駅に至る 前に
与高六別処 高六と別れし処なり
旧館分江口 旧館(きゅうかん) 分江(ぶんこう)の口(ほとり)
凄然望落暉 凄然(せいぜん)として落暉(らくき)を望む
相逢伝旅食 相逢(あいあ)うて旅食(りょしょく)を伝え
臨別換征衣 別れに臨んでは征衣(せいい)を換(か)えたり
昔記山川是 昔は記す 山川(さんせん)の是(ぜ)なるを
今傷人代非 今は傷む 人代(じんだい)の非(ひ)なるを
往来皆此路 往来 皆 此の路(みち)なるに
生死不同帰 生死 帰るを同(とも)にせず
⊂訳⊃
駅舎は今も 川筋の分かれる岸にあり
悲しい思いで 沈む夕日を眺める
旅で出会って 食事を分け合い
別れに際して 旅の衣を交換した
むかし見た 山も川も変わらぬが
人の世の 移り変わりに心は痛む
行きも帰りも 同じ路を通るのに
生死は変じて 帰りを共にできないとは
⊂ものがたり⊃ 詩題の「端州」(広東省高要県)は広州の西にある宿駅です。武后の長安三年(703)、宰相の魏元忠(ぎげんちゅう)と高戩(こうせん)が張易之兄弟に誣告されました。そのとき張説は二人を弁護したため、欽州(江西壮族自治区欽県)に流されます。
詩題の「高六」は高戩のことで、高戩の配所は不明ですが、二人は流謫の旅の途中で出会い、端州まで旅を共にしたのでしょう。端州駅で別れ、張説は西へ高戩は南の配所に向かいました。
神龍元年(705)の政変で張兄弟が誅されると、張説は赦されて都にもどることになりますが、高戩はすでに配所で亡くなっていました。詩は帰途、端州駅まで来たとき、高戩(高六)を偲んで作ったものです。端州は西江のほとりにあり、「分江口」は川筋の分かれるところを意味します。「征衣を換えたり」はお互いの無事を祈って旅の衣を交換するのです。