盛唐9ー張説
送梁六 梁六を送る
巴陵一望洞庭秋 巴陵(はりょう)一望す 洞庭(どうてい)の秋
日見孤峰水上浮 日々(ひび)に見る 孤峰(こほう)の水上に浮ぶを
聞道神仙不可接 聞道(きくなら)く 神仙(しんせん)は接す可(べ)からずと
心随湖水共悠悠 心は湖水に随って共に悠悠(ゆうゆう)たり
⊂訳⊃
巴陵の山に立って 洞庭湖を一望すれば
湖上に浮ぶ君山が いつもこの目に飛び込んでくる
聞けば人と神仙は 交われないというではないか
君を思う私の心は 湖水のように果てしないのに
⊂ものがたり⊃ 神龍元年の政変で都に呼びもどされた張説は、兵部員外郎(従六品上)になり、中宗期に多くの応制の詩を作ります。睿宗復位後は同中書門下平章事(宰相)に任じられ、玄宗の初政には中書令(正三品)になっていました。
開元の初政に玄宗を補佐した宰相は姚崇(ようすう)と宋?(そうけい)が有名ですが、張説は睿宗復位のころから二人と競い合う地位にいました。開元になって張説は姚崇との政争に敗れ、相州(河南省安陽県)刺史ついで岳州(湖南省岳陽市)刺史に左遷されます。
詩題の「梁六」は潭州(湖南省長沙市)刺史であった梁知微(りょうちび)ではないかとされており、刺史を辞任後に君山(洞庭湖中にある島)に住んでいたのでしょう。張説は訪ねて来た「梁六」を見送り、洞庭湖の景色に託して友情を述べます。
張説が岳州刺史のときの作品で、「巴陵」は洞庭湖東北岸の郡名で、岳州の旧名です。君山には洞庭湖の女神が棲んでいるという伝説があり、君山に隠棲している「梁六」に隠棲などやめて世間に出て来いと言っている詩でしょう。
送梁六 梁六を送る
巴陵一望洞庭秋 巴陵(はりょう)一望す 洞庭(どうてい)の秋
日見孤峰水上浮 日々(ひび)に見る 孤峰(こほう)の水上に浮ぶを
聞道神仙不可接 聞道(きくなら)く 神仙(しんせん)は接す可(べ)からずと
心随湖水共悠悠 心は湖水に随って共に悠悠(ゆうゆう)たり
⊂訳⊃
巴陵の山に立って 洞庭湖を一望すれば
湖上に浮ぶ君山が いつもこの目に飛び込んでくる
聞けば人と神仙は 交われないというではないか
君を思う私の心は 湖水のように果てしないのに
⊂ものがたり⊃ 神龍元年の政変で都に呼びもどされた張説は、兵部員外郎(従六品上)になり、中宗期に多くの応制の詩を作ります。睿宗復位後は同中書門下平章事(宰相)に任じられ、玄宗の初政には中書令(正三品)になっていました。
開元の初政に玄宗を補佐した宰相は姚崇(ようすう)と宋?(そうけい)が有名ですが、張説は睿宗復位のころから二人と競い合う地位にいました。開元になって張説は姚崇との政争に敗れ、相州(河南省安陽県)刺史ついで岳州(湖南省岳陽市)刺史に左遷されます。
詩題の「梁六」は潭州(湖南省長沙市)刺史であった梁知微(りょうちび)ではないかとされており、刺史を辞任後に君山(洞庭湖中にある島)に住んでいたのでしょう。張説は訪ねて来た「梁六」を見送り、洞庭湖の景色に託して友情を述べます。
張説が岳州刺史のときの作品で、「巴陵」は洞庭湖東北岸の郡名で、岳州の旧名です。君山には洞庭湖の女神が棲んでいるという伝説があり、君山に隠棲している「梁六」に隠棲などやめて世間に出て来いと言っている詩でしょう。