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ティェンタオの自由訳漢詩 1842

 南北朝43ー庾信
    梅花                梅花
 
  当年蝋月半     当年(とうねん)  蝋月(ろうげつ)半(なか)ばにして
  已覚梅花闌     已(すで)に覚(おぼ)ゆ  梅花(ばいか)の闌(たけなわ)なるを
  不信今春晩     信ぜず  今春(こんしゅん)の晩(おそ)きを
  倶来雪裏看     倶(とも)に来たって  雪裏(せつり)を看(み)る
  樹動懸冰落     樹(き)動いて懸冰(けんぴょう)落ち
  枝高出手寒     枝(えだ)高くして手を出(い)だせば寒し
  早知覓不見     早(つと)に  覓(たず)ぬるも見えずと知らば
  真悔著衣単     真(まこと)に著衣(ちゃくい)の単(ひとえ)なるを悔(く)ゆ

  ⊂訳⊃
          かつては   十二月も半ばになれば
          梅の花は   盛りを過ぎたと思ったものだ
          こんなにも  春が遅いと思わずに
          友を誘って  雪の中の梅を見る
          木が動けば つららが落ち
          高い枝に   手を伸ばすと凍えそうだ
          梅見には   早過ぎると知らなかったので
          単衣の服で 出てきたのが悔やまれる


 ⊂ものがたり⊃ 「梅花」の詩では北国の春の遅いことを詠い、南朝で過ごした往時を懐かしみます。四句ずつ前後に分かれ、「当年」は昔のことです。つまり、江南では「蝋月半ば」(陰暦十二月半ば)には梅の花は盛りを過ぎたものだと回顧します。そして、北国では春がこんなに遅いとは思わなかったので、友人と雪の中を梅見にやって来た状況を設定します。
 後半は雪中の梅見のみじめさを詠うもので、木が動けば花びらの代わりに氷柱(つらら)が落ち、昔やったように梅の枝に手を伸ばすと、手が凍えそうになると詠います。最後は薄着をして出て来たのが悔やまれると結んで、自分の運命を嘆くのです。
 庾信は北周の建国後二十五年間も北朝に仕え、驃騎大将軍、開府同三司にいたります。しかし、ついに帰国できないまま長安で亡くなりました。享年六十九歳でした。
      

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