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ティェンタオの自由訳漢詩 1907

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 盛唐1ー賀知章
     詠柳               柳を詠ず

  碧玉粧成一樹高   碧玉(へきぎょく)  粧(よそお)い成って一樹高し
  万条垂下緑糸縧   万条(ばんじょう)  垂下(すいか)す  緑糸縧(りょくしとう)
  不知細葉誰裁出   知らず  細葉(さいよう)  誰か裁(た)ち出(いだ)す
  二月春風似剪刀   二月の春風(しゅんぷう)  剪刀(せんとう)に似たり

  ⊂訳⊃
          碧玉のようだ  装い新たに一本の柳の木

          無数の枝が   緑の絹帯のように垂れている

          細い枝葉は   いったい誰が切り出したのか

          二月の春風は  鋏のように鋭い


 ⊂ものがたり⊃ 唐代の詩を初唐・盛唐・中唐・晩唐の四期(「四変」ともいう)に分けて論じる考え方は、すでに定着しています。盛唐のはじめを開元元年(713)とする説に異論は見られません。唐代の詩は玄宗皇帝の開元年間に著しく変化し、個性豊かなものになっていくからです。
 ただ、人は時代を越えて生きるものですので、前代の朝廷に仕えていた知識人で開元期に用いられて活躍する詩人は幾人もいました。そのなかで、開元初政の朝廷で高官になった人物の開元元年の年齢を示すと、つぎの通りです。
 賀知章55歳、張説47歳、蘇頲44歳、張九齢41歳。
 賀知章(659ー744)は越州永興(浙江省蕭山県)の人。武后の証聖元年(695)に三十七歳で進士に及第。玄宗の開元年間に要職を歴任します。開元十三年(725)には礼部侍郎になり、秘書監に至ります。
 天宝元年(742)に李白が朝廷に召されたとき、賀知章が李白の宿舎を訪ね、「謫仙人」の名を呈して推挙した話は有名です。天宝三載(744)に八十六歳で官を辞し、故郷の越州にもどってその年に亡くなりました。なお、天宝三載から至徳二載(757)までは年を載といいます。
 詩は初唐の詠物詩の名残をとどめています。ただし、出だしの「碧玉」はエメラルド色のほかに南朝時代の美少女を意味しており、美少女碧玉が綺麗に化粧して立っているようだと春の柳の美しさを比喩的に描きます。後半二句はウイットのある感懐で、鋏のように鋭い春風が柳の繊細な枝葉を作りだしたのだろうかと詠います

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