初唐46ー張若虚
春江花月夜 春江 花月の夜 (後八句)
昨夜?潭夢落花 昨夜 ?潭(かんたん) 落花(らっか)を夢む
可憐春半不還家 憐(あわ)れむ可し 春半ばにして家に還(かえ)らず
江水流春去欲尽 江水(こうすい) 春を流して 去って尽きんと欲し
江潭落月復西斜 江潭(こうたん) 落月(らくげつ) 復(ま)た西に斜めなり
斜月沈沈蔵海霧 斜月(しゃげつ) 沈沈(ちんちん)として海霧(かいむ)に蔵(かく)る
碣石湘瀟無限路 碣石(けつせき) 湘瀟(しょうしょう) 無限(むげん)の路
不知乗月幾人帰 知らず 月に乗じて幾人(いくにん)か帰る
落月揺情満江樹 落月 情を揺るがして江樹(こうじゅ)に満つ
⊂訳⊃
昨夜は舟を 淵にとどめて落花の夢
春も半ば 今年も家には帰れないのか
長江の水に 春は流れて尽きようとし
淵の上に 月は今夜も西へかたむく
月は斜めに 深く沈んで海上の霧の中
北の果て 南の果てへの限りない路
月明りの下 幾人が家路をたどり得たであろうか
落月に心は揺らぎ 樹々に愁いは満ちわたる
⊂ものがたり⊃ 後八句のはじめ四句では、「?潭」(静かな淵)で舟泊まりし、花びらの散る夢を見たと作者が姿を現します。今年も春の半ばを過ぎたというのに故郷に帰れないと嘆き、長江の水の流れと西に傾く月を描いて自分のいる場所と感慨を示します。
つぎの四句は全体の結びで、まず海上の霧のなかに沈んでいく満月を描きます。「碣石」は中国の北の果て、「湘瀟」は南の果てを意味し、隔たりの大きいことをいうのでしょう。自分と妻を隔てている距離の大きさを誇張して言いながら、遠くにいる妻のもとへ帰れないと嘆きます。落月が「情」(心、愛情)を揺るがして、月の光が岸辺の樹に満ちているように、自分の心にも妻への思いが満ちわたると詠って結びます。
この詩には劉希夷の有名な対句「年年歳歳 花 相似たり 歳歳年年 人 同じからず」を模した部分(2月20日のブログ参照)があり、劉希夷の歌行の伝統を継ぐものです。伝統を継ぎながら、詩は夫が妻を想う個人的な詩に変化している点に注目すべきです。
◎ 本日で「初唐の詩人たち」を終わります。つぎは
三月一日(土)から「盛唐の詩人たち」を始めます。
春江花月夜 春江 花月の夜 (後八句)
昨夜?潭夢落花 昨夜 ?潭(かんたん) 落花(らっか)を夢む
可憐春半不還家 憐(あわ)れむ可し 春半ばにして家に還(かえ)らず
江水流春去欲尽 江水(こうすい) 春を流して 去って尽きんと欲し
江潭落月復西斜 江潭(こうたん) 落月(らくげつ) 復(ま)た西に斜めなり
斜月沈沈蔵海霧 斜月(しゃげつ) 沈沈(ちんちん)として海霧(かいむ)に蔵(かく)る
碣石湘瀟無限路 碣石(けつせき) 湘瀟(しょうしょう) 無限(むげん)の路
不知乗月幾人帰 知らず 月に乗じて幾人(いくにん)か帰る
落月揺情満江樹 落月 情を揺るがして江樹(こうじゅ)に満つ
⊂訳⊃
昨夜は舟を 淵にとどめて落花の夢
春も半ば 今年も家には帰れないのか
長江の水に 春は流れて尽きようとし
淵の上に 月は今夜も西へかたむく
月は斜めに 深く沈んで海上の霧の中
北の果て 南の果てへの限りない路
月明りの下 幾人が家路をたどり得たであろうか
落月に心は揺らぎ 樹々に愁いは満ちわたる
⊂ものがたり⊃ 後八句のはじめ四句では、「?潭」(静かな淵)で舟泊まりし、花びらの散る夢を見たと作者が姿を現します。今年も春の半ばを過ぎたというのに故郷に帰れないと嘆き、長江の水の流れと西に傾く月を描いて自分のいる場所と感慨を示します。
つぎの四句は全体の結びで、まず海上の霧のなかに沈んでいく満月を描きます。「碣石」は中国の北の果て、「湘瀟」は南の果てを意味し、隔たりの大きいことをいうのでしょう。自分と妻を隔てている距離の大きさを誇張して言いながら、遠くにいる妻のもとへ帰れないと嘆きます。落月が「情」(心、愛情)を揺るがして、月の光が岸辺の樹に満ちているように、自分の心にも妻への思いが満ちわたると詠って結びます。
この詩には劉希夷の有名な対句「年年歳歳 花 相似たり 歳歳年年 人 同じからず」を模した部分(2月20日のブログ参照)があり、劉希夷の歌行の伝統を継ぐものです。伝統を継ぎながら、詩は夫が妻を想う個人的な詩に変化している点に注目すべきです。
◎ 本日で「初唐の詩人たち」を終わります。つぎは
三月一日(土)から「盛唐の詩人たち」を始めます。