初唐43ー張若虚
春江花月夜 春江 花月の夜 (前八句)
春江潮水連海平 春江(しゅんこう)の潮水(ちょうすい) 海に連なって平らかなり
海上明月共潮生 海上(かいじょう)の明月(めいげつ) 潮(うしお)と共に生ず
灔灔随波千万里 灔灔(えんえん) 波に随う 千万里
何処春江無月明 何(いず)れの処か 春江 月明(げつめい)無からん
江流宛転遶芳甸 江流(こうりゅう) 宛転(えんてん)として芳甸(ほうでん)を遶(めぐ)り
月照花林皆似霰 月は花林(かりん)を照らして 皆 霰(あられ)に似たり
空裏流霜不覚飛 空裏(くうり)の流霜(りゅうそう) 飛ぶを覚(おぼ)えず
汀上白沙看不見 汀上(ていじょう)の白沙(はくさ) 看(み)れども見えず
⊂訳⊃
春の長江は 漫々と水を湛えて海につらなり
明るい月が 満ちてくる潮と共に海上に昇る
月の光は 波に砕けて万里の彼方へつづき
春の長江は 月の明かりで満たされている
ゆるやかに 川は流れて花咲く野原をめぐり
樹々の花は 月に照らされて霰のようだ
霜の気配も 月の明かりに紛れて見えず
波打ち際の 砂の白さも見分けがつかない
⊂ものがたり⊃ 詩が七言律詩の形式的整斉というかたちで完成されていたころ、宮廷の外では劉希夷(りゅうきい)の「白頭を悲しむ翁に代る」(1月22日のブログ参照)に代表されるような歌行(かこう)の伝統はどうなったでしょうか。
張若虚(ちょうじゃくきょ)は揚州(江蘇省揚州市)の人。生没年は不詳です。中宗の神龍年間(705ー707)に活躍したといいますが、宮廷詩人ではありません。開元年間に賀知章(がちしょう)と並んで「呉中の四傑」と称されますので、開元年間まで活躍した詩人でしょう。ただし、残された詩は二首。『唐詩選』に載るのは「春江 花月の夜」一首です。
詩題は楽府題のひとつで、陳の後主が作った曲名と言われています。七言古詩三十六句の長篇で、四句ずつ九段に分けて読むことができます。前八句のはじめ四句は出だしで、「春江の潮水」と「海上の明月」を描いて場所と時間を設定します。
つぎの四句は、月の照らす空間をさらに細かく描きます。「芳甸」は花の咲く野原、「花林」は花の咲く木立です。古代の中国では「霜」は空から降ってくると考えられていましたので、空中を流れる霜の気配もわからず、「汀上の白沙」も見分けがつかないと、月の明るさを幻想的に詠います。
春江花月夜 春江 花月の夜 (前八句)
春江潮水連海平 春江(しゅんこう)の潮水(ちょうすい) 海に連なって平らかなり
海上明月共潮生 海上(かいじょう)の明月(めいげつ) 潮(うしお)と共に生ず
灔灔随波千万里 灔灔(えんえん) 波に随う 千万里
何処春江無月明 何(いず)れの処か 春江 月明(げつめい)無からん
江流宛転遶芳甸 江流(こうりゅう) 宛転(えんてん)として芳甸(ほうでん)を遶(めぐ)り
月照花林皆似霰 月は花林(かりん)を照らして 皆 霰(あられ)に似たり
空裏流霜不覚飛 空裏(くうり)の流霜(りゅうそう) 飛ぶを覚(おぼ)えず
汀上白沙看不見 汀上(ていじょう)の白沙(はくさ) 看(み)れども見えず
⊂訳⊃
春の長江は 漫々と水を湛えて海につらなり
明るい月が 満ちてくる潮と共に海上に昇る
月の光は 波に砕けて万里の彼方へつづき
春の長江は 月の明かりで満たされている
ゆるやかに 川は流れて花咲く野原をめぐり
樹々の花は 月に照らされて霰のようだ
霜の気配も 月の明かりに紛れて見えず
波打ち際の 砂の白さも見分けがつかない
⊂ものがたり⊃ 詩が七言律詩の形式的整斉というかたちで完成されていたころ、宮廷の外では劉希夷(りゅうきい)の「白頭を悲しむ翁に代る」(1月22日のブログ参照)に代表されるような歌行(かこう)の伝統はどうなったでしょうか。
張若虚(ちょうじゃくきょ)は揚州(江蘇省揚州市)の人。生没年は不詳です。中宗の神龍年間(705ー707)に活躍したといいますが、宮廷詩人ではありません。開元年間に賀知章(がちしょう)と並んで「呉中の四傑」と称されますので、開元年間まで活躍した詩人でしょう。ただし、残された詩は二首。『唐詩選』に載るのは「春江 花月の夜」一首です。
詩題は楽府題のひとつで、陳の後主が作った曲名と言われています。七言古詩三十六句の長篇で、四句ずつ九段に分けて読むことができます。前八句のはじめ四句は出だしで、「春江の潮水」と「海上の明月」を描いて場所と時間を設定します。
つぎの四句は、月の照らす空間をさらに細かく描きます。「芳甸」は花の咲く野原、「花林」は花の咲く木立です。古代の中国では「霜」は空から降ってくると考えられていましたので、空中を流れる霜の気配もわからず、「汀上の白沙」も見分けがつかないと、月の明るさを幻想的に詠います。