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ティェンタオの自由訳漢詩 1902

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 初唐42ー盧僎
   南楼望           南楼の望め

  去国三巴遠     国を去って三巴(さんぱ)遠く
  登楼万里春     楼(ろう)に登れば  万里(ばんり)春なり
  傷心江上客     傷心(しょうしん)   江上(こうじょう)の客
  不是故郷人     是(こ)れ故郷の人ならず

  ⊂訳⊃
          故郷を離れて  遥か三巴の地にやってきた

          南楼に登れば  見わたす限りの春景色

          江上の旅人の  心は悲しみに満たされる

          この春景色も  私にとっては異郷なのだ


 ⊂ものがたり⊃ 睿宗在位三年目の太極元年(712)は五月に延和と改元され、その八月、睿宗は皇太子に位を譲って太上皇になりました。李隆基は即位して第八代の皇帝になります。延和元年も八月から先天元年になります。
 太平公主は韋后の誅殺に功績があり、兄睿宗のもとで権力を強め、若い李隆基を凌ぐ勢いを持とうとしていました。玄宗李隆基は翌先天二年(713)七月、兵を出して太平公主を攻め、自殺に追い込みました。そのとき武氏の一族も宮廷から一掃されます。
 玄宗は十二月に先天を開元に改め、二十九歳の青年皇帝の親政がはじまります。初唐が終わり盛唐が始まることになりますが、ここで宮廷詩人でない詩人の作品を掲げます。盧僎(ろせん)は相州臨漳(河南省臨漳県)の人。生没年は不詳ですが、進士に及第したと見られ、聞喜(山西省)の県尉を務めたあと、中宗の景龍元年(707)ころに集賢院学士、吏部員外郎を歴任しています。
 巴蜀(四川省)の地に左遷されたことがあるらしく、「南楼の望(なが)め」はそのときの作品と思われます。詩題の「南楼」は城壁の南門上の望楼でしょう。「三巴」と言っているのは後漢末に巴・巴東・巴西に分けられたからです。
 転句の「江上の客」については川辺を行く人と考え、それが見知らぬ異郷の人ばかりと嘆いていると解する説もあります。ここでは江上を舟で来た旅人(作者自身)と考え、美しい春景色も異郷であり、自分の故郷ではないと境遇を悲しんでいる詩と解しました。

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