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ティェンタオの自由訳漢詩 1901

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 初唐41ー宋之問
   題大庾嶺北駅      大庾嶺の北駅に題す

  陽月南飛雁     陽月(ようげつ) 南に飛ぶ雁(かり)は
  伝聞至此囘     伝(つた)え聞く  此(ここ)に至って囘(かえ)ると
  我行殊未已     我が行(こう)   殊(こと)に未だ已(や)まず
  何日復帰来     何(いず)れの日か   復(ま)た帰り来たらん
  江静潮初落     江(こう)   静かに  潮(うしお)初めて落ち
  林昏瘴不開     林(はやし) 昏(くら)く  瘴(しょう)開かず
  明朝望郷処     明朝  望郷の処(ところ)
  応見隴頭梅     応(まさ)に隴頭(ろうとう)の梅を見るべし

  ⊂訳⊃
          初冬の十月  南へ飛んできた雁は
          この山から  北へもどると聞いている
          それにひきかえ  わたしの旅はこれからだ
          いつになったら  北へ帰れるのか
          江は静かに流れ みずかさは落ちたが
          林は薄暗く  瘴癘の気が立ちこめる
          明日の朝は  故郷を望む峠に立つ
          梅嶺の梅も  きっと目にすることだろう


 ⊂ものがたり⊃ 景龍四年(710)六月、宮廷で大事件がありました。政権を独占しようと考えた韋后と安楽公主は共謀して、毒を入れた饅頭を事もあろうに中宗に食べさせて毒殺しました。夫であり父である天子を暗殺したのです。韋后は温王李重茂(りじゅうも)を立てて皇帝とし、安楽公主を皇太子に立てるつもりでした。
 ところがそのとき、廃帝睿宗(中宗の弟)の第三子、二十六歳の臨淄王李隆基(りりゅうき)は、太平公主の支持を取り付けた上で宮中に攻め入り、韋后とその一派を誅殺しました。そのとき上官昭容も兵に追われて殺害されました。
 七月、李隆基は父睿宗を復位させ、みずからは皇太子になります。宋之問は太平公主に賄賂をあばかれて、景龍の変のときには越州(浙江省紹興市)に流されて都にはいませんでした。変後、宋之問は罪を加重され、欽州(広西壮族自治区欽県)に再貶されます。
 詩題の「大庾嶺」(だいゆれい)は江西・広東両省の省境に横たわる山で、梅の発祥地とされ梅嶺ともいいます。詩は宋之問が越州から欽州に移されるときの作で、応制の詩とは打って変わったもの淋しい調子です。

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