初唐38ー沈佺期
古意 古意
盧家少婦鬱金堂 盧家(ろか)の少婦(しょうふ) 鬱金堂(うっこんどう)
海燕双棲玳瑁梁 海燕(かいえん)双(なら)び棲む 玳瑁(たいまい)の梁(はり)
九月寒砧催木葉 九月 寒砧(かんちん) 木葉(ぼくよう)を催(もよお)し
十年征戍憶遼陽 十年 征戍(せいじゅ) 遼陽(りょうよう)を憶(おも)う
白狼河北音書断 白狼(はくろう)河北 音書(いんしょ)断たれ
丹鳳城南秋夜長 丹鳳(たんぽう)城南 秋夜(しゅうや)長し
誰為含愁独不見 誰か為(おも)わん 愁(うれ)いを含んで独り見ず
更教明月照流黄 更に明月をして流黄(りゅうこう)を照さ教(し)めんとは
⊂訳⊃
盧家の若妻は 鬱金香の薫る部屋
つがいの燕は 鼈甲飾りの梁の上
九月は砧の音 落ち葉を促して寒々と鳴り
遼陽の戦から もどって来ない夫を思う
白狼河の北 便りも来なくなり
長安城内に 秋の夜は長い
思いもしなかった 月の明るい帳のなかで
夫にも会えず ひとり愁いに沈むとは
⊂ものがたり⊃ 詩題の「古意」(こい)は伝統的な内容の詩であることを言う語で、古い内容を新しい形式で表現したという意図を示しています。二組の対句からなる中四句を前後の二句で囲む形式で、七言律詩が整斉された初期の代表的作例として学問的に注目されています。
内容は閨怨詩に属しますが、語句は宮廷詩にふさわしく極めて装飾的です。まずはじめの二句で主人公と場を設定します。「鬱金」は西域伝来の香草で、貴人の邸宅の壁に塗りこめる習慣がありました。「玳瑁」は鼈甲のことで、天井の横木には鼈甲の装飾が施してある。つまり「盧家の少婦」は豪邸に住む貴族の若妻ですが、燕のようにつがいではありません。
中四句は夫と別れて暮らす妻の心境です。晩秋九月になると砧(きぬた)の音が落ち葉の散るのを急き立てるように聞こえて来ます。「十年」は永い間という程度の意味で、「遼陽」(遼寧省西北部)に遠征に行ったままもどらない夫を想っています。「白狼河北」は夫のいる場所、「丹鳳城南」は長安城内で、妻のいる場所。夫からの便りも絶えて秋の夜長を恨んでいます。
結びの二句は若妻の気持ちを強調するもので、明月に照らされている「流黄」(絹の布の色)の中で、ひとり愁いに苦しんでいると詠います。「流黄」は帳(とばり)を意味し、帳を垂らした寝台を思わせます。
南朝以来、宮廷の詩人たちによって練り上げられてきた宮廷詩は、中宗期において美しく整えられた形式を完成します。巧みな語句の照応、韻律の諧和、その場にふさわしい典故の引用、これらが極限にまで推し進められ、宮廷文学として典雅な様式が整斉されるようになりました。その様式・規律を七言律詩において完成したのが沈佺期とみられ、律詩の規律はやがて七言四句の絶句にも適用されるようになっていきます。
古意 古意
盧家少婦鬱金堂 盧家(ろか)の少婦(しょうふ) 鬱金堂(うっこんどう)
海燕双棲玳瑁梁 海燕(かいえん)双(なら)び棲む 玳瑁(たいまい)の梁(はり)
九月寒砧催木葉 九月 寒砧(かんちん) 木葉(ぼくよう)を催(もよお)し
十年征戍憶遼陽 十年 征戍(せいじゅ) 遼陽(りょうよう)を憶(おも)う
白狼河北音書断 白狼(はくろう)河北 音書(いんしょ)断たれ
丹鳳城南秋夜長 丹鳳(たんぽう)城南 秋夜(しゅうや)長し
誰為含愁独不見 誰か為(おも)わん 愁(うれ)いを含んで独り見ず
更教明月照流黄 更に明月をして流黄(りゅうこう)を照さ教(し)めんとは
⊂訳⊃
盧家の若妻は 鬱金香の薫る部屋
つがいの燕は 鼈甲飾りの梁の上
九月は砧の音 落ち葉を促して寒々と鳴り
遼陽の戦から もどって来ない夫を思う
白狼河の北 便りも来なくなり
長安城内に 秋の夜は長い
思いもしなかった 月の明るい帳のなかで
夫にも会えず ひとり愁いに沈むとは
⊂ものがたり⊃ 詩題の「古意」(こい)は伝統的な内容の詩であることを言う語で、古い内容を新しい形式で表現したという意図を示しています。二組の対句からなる中四句を前後の二句で囲む形式で、七言律詩が整斉された初期の代表的作例として学問的に注目されています。
内容は閨怨詩に属しますが、語句は宮廷詩にふさわしく極めて装飾的です。まずはじめの二句で主人公と場を設定します。「鬱金」は西域伝来の香草で、貴人の邸宅の壁に塗りこめる習慣がありました。「玳瑁」は鼈甲のことで、天井の横木には鼈甲の装飾が施してある。つまり「盧家の少婦」は豪邸に住む貴族の若妻ですが、燕のようにつがいではありません。
中四句は夫と別れて暮らす妻の心境です。晩秋九月になると砧(きぬた)の音が落ち葉の散るのを急き立てるように聞こえて来ます。「十年」は永い間という程度の意味で、「遼陽」(遼寧省西北部)に遠征に行ったままもどらない夫を想っています。「白狼河北」は夫のいる場所、「丹鳳城南」は長安城内で、妻のいる場所。夫からの便りも絶えて秋の夜長を恨んでいます。
結びの二句は若妻の気持ちを強調するもので、明月に照らされている「流黄」(絹の布の色)の中で、ひとり愁いに苦しんでいると詠います。「流黄」は帳(とばり)を意味し、帳を垂らした寝台を思わせます。
南朝以来、宮廷の詩人たちによって練り上げられてきた宮廷詩は、中宗期において美しく整えられた形式を完成します。巧みな語句の照応、韻律の諧和、その場にふさわしい典故の引用、これらが極限にまで推し進められ、宮廷文学として典雅な様式が整斉されるようになりました。その様式・規律を七言律詩において完成したのが沈佺期とみられ、律詩の規律はやがて七言四句の絶句にも適用されるようになっていきます。