初唐36ー宋之問
至端州駅 見杜五 端州駅に至り 杜五審言
審言沈三佺期閻五 沈三佺期 閻五朝隠 王
朝隠王二無競題壁 二無競の壁に題するを見
慨然成詠 慨然として詠を成す
逐臣北地承厳譴 逐臣(ちくしん) 北地(ほくち)に厳譴(げんけん)を承(う)く
謂到南中毎相見 謂(おも)えらく 南中(なんちゅう)に到って毎(つね)に相見んと
豈意南中岐路多 豈(あ)に意(おも)わんや 南中 岐路(きろ)多くして
千山万水分郷県 千山万水 郷県(ごうけん)を分かたんとは
雲揺雨散各翻飛 雲揺らぎ 雨散じて各々(おのおの)翻飛(ほんぴ)し
海闊天長音信稀 海闊(ひろ)く 天長くして音信(おんしん)稀なり
処処山川同瘴癘 処処の山川 同じく瘴癘(しょうれい)
自憐能得幾人帰 自ら憐れむ 能(よ)く幾人(いくにん)か帰るを得んと
⊂訳⊃
追放の臣下 北の都で厳しい裁きを受ける
南へ行けば いつも会えると思っていた
ところが 南方は分かれ道が多く
幾山川が 村や町を隔てている
雲が流れ 雨が降るように吹き飛ばされ
湖水は広く 空は果てしなく便りも稀だ
どの山川も 毒気が立ちこめ
いったい幾人が 無事に都へ帰れるだろうか
⊂ものがたり⊃ 宋之問(656?ー712)は汾州(山西省汾陽県)の人。また、虢州(河南省霊宝県)の人とも言います。高宗の上元二年(675)、二十歳のころに進士に及第、武后に認められて尚方監丞になります。張兄弟に親しんでいたため神龍元年の政変に遇い、瀧州参軍に流されますが、貶地の苦しみに堪えきれず、逃げ帰って洛陽の知人の家に隠れていたといいます。
詩題中の「端州」(広東省高要県)は広州市の西にあり、配地の瀧州(広東省羅定県)に赴く途中、宿舎の壁に杜審言・沈佺期・閻朝隠・王無競の詩が書きつけてあるのを見て、この詩を吟じました。
七言八句の詩ですが換韻によって前後の四句ずつの分けられ、七言古詩になります。「逐臣」は都を追放された臣下、「北地」は北の地ですが暗に都を指します。宋之問は嶺南の田舎のことなど思ったこともなかったらしく、「千山万水」が村や町を隔てていると驚いています。
後半のはじめ二句は、広大な嶺南の地に友人たちが散り散りばらばらになっていることを、雲や雨に喩えます。終わり二句では嶺南の地が「瘴癘」(マラリア)の気に満ちていることを述べ、生きて帰れるだろうかと心配するのです。
至端州駅 見杜五 端州駅に至り 杜五審言
審言沈三佺期閻五 沈三佺期 閻五朝隠 王
朝隠王二無競題壁 二無競の壁に題するを見
慨然成詠 慨然として詠を成す
逐臣北地承厳譴 逐臣(ちくしん) 北地(ほくち)に厳譴(げんけん)を承(う)く
謂到南中毎相見 謂(おも)えらく 南中(なんちゅう)に到って毎(つね)に相見んと
豈意南中岐路多 豈(あ)に意(おも)わんや 南中 岐路(きろ)多くして
千山万水分郷県 千山万水 郷県(ごうけん)を分かたんとは
雲揺雨散各翻飛 雲揺らぎ 雨散じて各々(おのおの)翻飛(ほんぴ)し
海闊天長音信稀 海闊(ひろ)く 天長くして音信(おんしん)稀なり
処処山川同瘴癘 処処の山川 同じく瘴癘(しょうれい)
自憐能得幾人帰 自ら憐れむ 能(よ)く幾人(いくにん)か帰るを得んと
⊂訳⊃
追放の臣下 北の都で厳しい裁きを受ける
南へ行けば いつも会えると思っていた
ところが 南方は分かれ道が多く
幾山川が 村や町を隔てている
雲が流れ 雨が降るように吹き飛ばされ
湖水は広く 空は果てしなく便りも稀だ
どの山川も 毒気が立ちこめ
いったい幾人が 無事に都へ帰れるだろうか
⊂ものがたり⊃ 宋之問(656?ー712)は汾州(山西省汾陽県)の人。また、虢州(河南省霊宝県)の人とも言います。高宗の上元二年(675)、二十歳のころに進士に及第、武后に認められて尚方監丞になります。張兄弟に親しんでいたため神龍元年の政変に遇い、瀧州参軍に流されますが、貶地の苦しみに堪えきれず、逃げ帰って洛陽の知人の家に隠れていたといいます。
詩題中の「端州」(広東省高要県)は広州市の西にあり、配地の瀧州(広東省羅定県)に赴く途中、宿舎の壁に杜審言・沈佺期・閻朝隠・王無競の詩が書きつけてあるのを見て、この詩を吟じました。
七言八句の詩ですが換韻によって前後の四句ずつの分けられ、七言古詩になります。「逐臣」は都を追放された臣下、「北地」は北の地ですが暗に都を指します。宋之問は嶺南の田舎のことなど思ったこともなかったらしく、「千山万水」が村や町を隔てていると驚いています。
後半のはじめ二句は、広大な嶺南の地に友人たちが散り散りばらばらになっていることを、雲や雨に喩えます。終わり二句では嶺南の地が「瘴癘」(マラリア)の気に満ちていることを述べ、生きて帰れるだろうかと心配するのです。