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ティェンタオの自由訳漢詩 1895

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 初唐35ー沈佺期
   遥同杜員外          遥かに杜員外審言の
   審言過嶺            「嶺を過る」に同ず

  天長地闊嶺頭分   天は長く地は闊(ひろ)くして嶺頭(れいとう)分かれ
  去国離家見白雲   国を去り家を離れて白雲(はくうん)を見る
  洛浦風光何所似   洛浦(らくほ)の風光   何(いず)くにか似たる所ぞ
  崇山瘴癘不堪聞   崇山(すうざん) 瘴癘(しょうれい) 聞くに堪(た)えず
  南浮漲海人何処   南のかた漲海(ちょうかい)に浮かんで人は何処(いずく)ぞ
  北望衡陽雁幾群   北のかた衡陽(こうよう)を望めば雁幾群(かりいくぐん)
  両地江山万余里   両地(りょうち)の江山  万余里
  何時重謁聖明君   何(いず)れの時か重ねて聖明(せいめい)の君に謁(えつ)せん

  ⊂訳⊃
          天は遠く地は広がって   峰は並び立つ
          国を立ち去り家を離れ  白雲を仰ぐ
          洛水の岸辺のような    美しい景色は何処にもなく
          崇山の毒気のはなしは  聞くに堪えない
          南に漲海を渡った人は  いまどこにいるのか
          北に衡陽の空を望めば  幾つもの帰雁の群れ
          都は山川に隔てられ   万里のかなた
          再び天子に謁する日は  来るのだろうか


 ⊂ものがたり⊃ 「文章の四友」と同時代に宮廷に仕え、後世「沈宋」と並称される沈佺期(しんせんき)と宋之問(そうしもん)も張兄弟の宮殿に出入りしていましたので、神龍元年の政変に連座して嶺南(広州方面)に流されます。
 沈佺期(?ー714?)は相州内黄(河南省内黄県)の人。高宗の上元二年(675)に二十歳くらいで進士に及第し、武后の長安年間(701ー704)には通事舎人になっていました。考功員外郎のとき神龍元年の政変に遇い、驩州(ベトナム・ハノイ付近)に流されます。
 詩は沈佺期が配地に赴く途中、宿舎の壁に書きつけてある杜審言の「嶺を過(よぎ)る」という詩を見て唱和したものです。杜審言は流される前、膳部員外郎であったので「杜員外」(といんがい)と呼びます。
 中四句を前後の二句で囲む形式で、二句尾の「白雲を見る」には流れる雲のように頼りない旅の身という思いが込められているでしょう。「洛浦」は洛水の岸辺で、都の風景とは異なるあたりの風景を眺め、驩州に向かう途中にある「崇山」が「瘴癘」(高温多湿の不健康な風土)の地であることを思います。
 「漲海」は南海のことで、ベトナムに行くには広州から舟で渡りました。「人」は杜審言を指すと見られます。「衡陽」(湖南省衡陽市)の北に衡山があり、その一峰を回雁峰といいました。北から渡ってきた雁は、この山から北へもどると考えられていましたので、北をかえりみて望郷の思いを詠うのです。

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