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ティェンタオの自由訳漢詩 1891

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 初唐31ー陳子昂
   登幽州台歌       幽州の台に登るの歌

  前不見古人      前(さき)に古人(こじん)を見ず
  後不見来者      後(のち)に来者(らいしゃ)を見ず
  念天地之悠悠    天地の悠悠(ゆうゆう)たるを念(おも)い
  独愴然而涕下    独り愴然(そうぜん)として涕(なんだ)下(くだ)る

  ⊂訳⊃
          古の人の姿は見えず

          後ろにつづく者もいない

          悠久の天地に思いを致せば

          ひとり悲しみに打たれ  涙は流れる


 ⊂ものがたり⊃ 詩題の「幽州」(北京)は戦国燕の都薊のあった所で、薊丘に登ると言っても同じです。詩は前半二句で孤独を訴えますが、それは「古人」「来者」の二語によって、過去・現在・未来にわたる時間軸のなかの孤独として示されます。
 詩は簡潔を極めており、陳子昂の名句として有名です。そして人の世の変転の中で天と地はいつまでも変わることなくつづくことを思い、「愴然」(いたみ悲しむさま)として涙を流します。
 この詩は「薊丘覧古七首」と同時期に作られたと見られており、五言二句六言二句というのも他に類がありません。南朝以来の詩の伝統に挑戦する陳子昂の姿勢が示されており、声調は切々として重い内容と響き合い、迫力のある情感を生み出しています。
 詩が個人の内面を詠うものであるとすれば、個性的な詩の表現がまだ未確立であった初唐の時期に作られたこの詩は陳子昂の代表作と言ってよく、盛唐期になると、陳子昂は新しい詩の先駆者として心ある詩人の尊崇を集めます。 

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