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ティェンタオの自由訳漢詩 杜牧125ー128

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 杜牧ー125
   秋晩早発新定        秋の晩 早に新定を発す

  解印書千軸     印(いん)を解く    書(しょ)千軸(せんじく)
  重陽酒百缸     重陽(ちょうよう)  酒(さけ)百缸(ひゃくこう)
  涼風満紅樹     涼風(りょうふう)  紅樹(こうじゅ)に満ち
  暁月下秋江     暁月(ぎょうげつ)  秋江(しゅうこう)を下る
  巌壑会帰去     巌壑(がんがく)に 会(かなら)ず帰り去らん
  塵埃終不降     塵埃(じんあい)に 終(つい)に降(お)りず
  懸纓未敢濯     纓(えい)を懸(か)けんとして  未だ敢(あえ)て濯(あら)わず
  厳瀬碧淙淙     厳瀬(げんらい)   碧(みどり)淙淙(そうそう)たり

  ⊂訳⊃
          腰の印綬をはずせば  千巻の書がある
          重陽の節句に乗じて  たっぷり酒を飲む
          紅葉の樹々に       涼しい風が満ち
          有明の月に照らされ  晩秋の川をくだる
          いつかきっと  山水の間を住居としよう
          いつまでも   俗塵に塗れるつもりはない
          隠退の思いは募るが  冠はまだそのままだ
          厳陵瀬のあたりに    淙々と水はながれて碧色


 ⊂ものがたり⊃ 睦州(ぼくしゅう)を発つときの詩です。杜牧は晩秋の朝早く舟を出して、富春江をくだります。「巌壑に 会ず帰り去らん 塵埃に 終に降りず」と、杜牧は隠退への思いを口にしますが、隠退に踏み切ることのできない自分であることもわかっています。
 杜牧を乗せた舟は流れを下ってゆき、釣台(ちょうだい)の前に差しかかります。釣台の前の早瀬を厳陵瀬(げんりょうらい)といい、碧色(みどりいろ)の水が淙々と流れています。杜牧は厳光(げんこう)の悠々自適の生活の象徴として厳陵瀬を描いているのであり、結びの一句には冠をつけたままの杜牧の尽きせぬ思いが込められているように思います。

 杜牧ー126
   夜泊桐廬 先寄       夜 桐廬に泊し 先ず
   蘇台盧郎中          蘇台の盧郎中に寄す

  水檻桐廬館     水檻(すいかん) 桐廬(とうろ)の館(かん)
  帰舟繋石根     帰舟(きしゅう)  石根(せきこん)に繋(つな)ぐ
  笛吹孤戍月     笛は吹く  孤戍(こじゅ)の月
  犬吠隔渓村     犬は吠ゆ  渓(けい)を隔(へだ)つる村
  十載違清裁     十載(じつさい)  清裁(せいさい)に違(たが)い
  幽懐未一論     幽懐(ゆうかい)  未(いま)だ一(ひと)たび論ぜず
  蘇台菊花節     蘇台(そだい)    菊花(きくか)の節(せつ)
  何処与開     何(いず)れの処にか  与(とも)に(そん)を開かん

  ⊂訳⊃
          水辺の欄干  桐廬の館
          岸の岩根に  舟をつなぐ
          月は昇り   塞に笛の音は流れ
          対岸の村で  犬がしきりに吠えている
          この十年   会えないままに過ぎ
          胸中の思い  伝えずにきた
          蘇州に着くころは重陽の節句
          何処かで酒を飲みながら  つもる話をしよう


 ⊂ものがたり⊃ 桐廬(浙江省桐廬県)は、新定の城から五十余里(約30km)ほど川を下ったところにあります。舟で二日以内の行程です。杜牧は桐廬の駅亭に一泊し、そこから蘇州刺史の盧簡求(ろかんきゅう)に詩を送りました。詩題に「盧郎中」とあるのは、盧簡求が中央にいたときの官名で呼んだものです。
 風景の描写は暗く寂しげですが、杜牧にはまだ政事を論ずる気持ちはあります。「蘇台」(蘇州)に着くころは、九月九日の「菊花節」(重陽節)のころになるので、久し振りに会って、つもる話をしようではないかと友を懐かしむ気持ちを伝えます。盧簡求と過ごした蘇州の夜は楽しいものであったでしょう。

 杜牧ー127
    江南懐古              江南懐古

  車書混一業無窮   車書(しゃしょ)混一(こんいつ)  業(ぎょう)窮(きわ)まり無く
  井邑山川古今同   井邑(せいゆう)   山川(さんせん)  古今(きんこ)同じ
  戊辰年向金陵過   戊辰(ぼしん)の年 金陵(きんりょう)を過ぎ
  惆悵閑吟憶庾公   惆悵(ちゅうちょう)閑吟して  庾公(ゆこう)を憶(おも)う

  ⊂訳⊃
          天下一統の大業は  永く保たれ

          村里城邑  山川の姿に変わりはない

          いままさに戊辰の年   金陵の地を過ぎながら

          悲運の庾信を思いやり  静かに詩を口ずさむ


 ⊂ものがたり⊃ 蘇州をあとにした舟は、潤州で長江に達します。この古い城邑で、杜牧は江南の地を懐古します。「車書混一」は車軌と文字を同一にすることで、天下統一を意味します。ここまでは唐のことで、天下は統一され、村里城邑山川の姿に変わりはありません。
 潤州には東晋時代に北府が置かれ、都建康(金陵)の防衛拠点でした。当時、潤州は長江最大の渡津であり、金陵渡(きんりょうと)とも呼ばれていました。そこから潤州を「金陵」ともいうのです。
 大中三年(848)は「戊辰年」で、その三百年前にあたる南朝梁(りょう)の武帝の戊辰年に侯景(こうけい)の乱が起きました。南朝梁の詩人庾信(ゆしん)は乱を避けて江陵(湖北省江陵県)に逃れ、そののち北朝の西魏に使いしました。ところが使者として西魏にいるときに梁が滅亡し、帰国できなくなります。
 庾信はやむなく北朝に仕え、異郷で生涯を終えました。杜牧は蘇州刺史盧簡求と、侯景の乱や梁の滅亡、庾信のことなどを話題にしたのかもしれません。潤州で庾信の不運に思いを馳せ、詩を口ずさむのです。

 杜牧ー128
    汴河阻凍            汴河にて凍れるに阻まる

  千里長河初凍時   千里の長河(ちょうが)  初めて凍(こお)る時
  玉珂瑤珮響参差   玉珂(ぎょくか)  瑤珮(ようはい)  響き参差(しんし)たり
  浮生恰似冰底水   浮生(ふせい)は恰(あたか)も似たり  冰底(ひょうてい)の水に
  日夜東流人不知   日夜東流して  人(ひと)知らず

  ⊂訳⊃
          遠く連なる汴河の水が   いま凍りはじめ

          凍る音は  玉珂瑤珮と川面にひびく

          人生は   氷のしたの水のように

          昼夜わかたず東に流れ  人に知られることもない


 ⊂ものがたり⊃ 都への旅の途中の九月、杜牧は李徳裕が潮州司馬からさらに遠く州(海南省海口市)の司戸参軍に再貶されたことを耳にします。かつて正二品の宰相であった李徳裕は、辺境州の従七品下、諸曹参軍に落とされてしまったのです。杜牧は人生の有為転変に粛然とした気持ちにならざるを得ません。
 潤州から揚州までは長江を渡ってすぐです。杜牧は弟杜(とぎ)の住まいに立ち寄ります。揚州の杜の家には弟夫婦と一男一女のほかに、李氏に嫁いで寡婦となった妹が子供を連れて同居していました。二家族六人は杜牧の仕送りによって質素な暮らしをしていました。
 杜牧は弟の眼病を見舞い、都へ帰ったら今度は大郡の太守になって江南にもどってくる。そうなったらお前の医薬や家族の衣食、妹一家の面倒もいまよりはましにみることができるだろう、心配するなと励まします。杜牧は眼医の名人の噂などもして杜夫婦に希望を持たせ、三十日間ほど滞在して北へ向かいました。
 冬の運河をつたって北上する途中、汴河(べんが)を通ります。杜牧が冬の汴河を通過するのは、このときだけです。この冬は、汴河の水も凍るほどの寒さでした。詩題の「凍れるに阻まる」は、氷結のために航行できなかったことを意味します。
 「玉珂瑤珮」は馬のおもがいにつける玉製の飾りと腰に下げる佩玉のことで、いずれも高位の人を示すものです。汴河の氷結する音が玉珂瑤珮の触れ合う音のように響いたと言うことで、富貴の人々の豪奢な生活に警鐘を鳴らしているとも受け止められますが、杜牧は氷の下を流れる水の永遠の流れに目を向けています。結句の「日夜東流して 人知らず」は、杜牧自身のことを言っているのかも知れません。

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