杜牧ー117
睦州四韻 睦州四韻
州在釣台辺 州は釣台(ちょうだい)の辺(ほとり)に在り
渓山実可憐 渓山(けいざん) 実に憐れむ可し
有家皆掩映 家(いえ)有りて 皆掩映(えんえい)し
無処不潺湲 処(ところ)として潺湲(せんえん)たらざるは無し
好樹鳴幽鳥 好樹(こうじゅ)に 幽鳥(ゆうちょう)鳴き
晴楼入野煙 晴楼(せいろう)に 野煙(やえん)入る
残春杜陵客 残春(ざんしゅん) 杜陵(とりょう)の客
中酒落花前 酒に中(あた)る 落花の前
⊂訳⊃
睦州は 釣台の近くにあって
山紫水明 まことに美しい
家々は 木立に隠れてちらほら見え
谷川は いたるところでさらさらと流れる
木の間隠れに 鳥は鳴き
晴れた高楼に 霞は淡く流れ入る
晩春の花散る中 杜陵の客は
いつしか酔いに 身をまかす
⊂ものがたり⊃ 冬が去れば、睦州(ぼくしゅう)にも春がめぐってきます。睦州は江南でも最南端に近い土地ですので、春はどこよりも早く来たと言うべきでしょう。山間の春の姿は、思いもよらない美しさでした。
浙江は下流を銭塘江、中流を富春江、上流を新安江といいます。南から流れて来る東陽江が西から流れて来る新安江と合流する地点に睦州はあります。この合流点の北が富春江で、すこし下ったところに「釣台」がありました。
釣台は富春江西岸にある平たい岩で、後漢の高士厳光(げんこう)が釣り糸を垂れたことで有名でした。厳光は光武帝の旧友で後漢の創業に功績がありましたが、光武帝の勧めを辞退して任官せず、富春山の山麓に隠棲しました。厳光はこの地で悠悠自適の生活を送り、釣台で釣り糸を垂れる毎日であったといいます。
「杜陵の客」は杜牧自身であり、大中元年(847)の春、晩春の花吹雪のなか、杜牧は酒に酔い痴れる毎日でした。
杜牧ー118
寓 言 寓 言
暖風遅日柳初含 暖風(だんぷう) 遅日(ちじつ) 柳(やなぎ)初めて含む
顧影看身又自慙 影を顧み 身を看(み)て 又た自ら慙(は)ず
何事明朝独惆悵 何事ぞ明朝(めいちょう)に 独り惆悵(ちゅうちょう)する
杏花時節在江南 杏花(きょうか)の時節 江南に在り
⊂訳⊃
暖かい風 のどかな春よ おぼろに霞む柳の木
改めてわが身を顧みれば 悔いる思いが湧いてくる
聖明の御代に どうして悲しみにくれているのか
杏の花咲く宴の季節に 遠く離れた江南の地で
⊂ものがたり⊃ 春は貢挙の季節であり、都長安の杏園(きょうえん)で新進士たちの祝宴がひらかれる季節でもあります。かつて杜牧も、新進士として希望に燃えていた時期がありました。それがどうしてこんな惨めな状態になってしまったのかと、「自慙」し「惆悵」する杜牧です。
この年の閏三月、宣宗は廃仏の停止を命じ、仏寺の復興を許しました。武宗の政策、つまりはそれを推進した李党の政策はつぎつぎに否定され、党争は牛党の完全な勝利に帰したかのようでした。長安では老いた牛党の指導者に代わって白敏中(白居易の二従兄弟)をはじめとする牛党の若手が宰相になり、李党の官僚を排斥しています。しかし、睦州の杜牧には都からの音沙汰はありません。
杜牧ー119
猿 猿
月白煙青水暗流 月(つき)白く 煙青くして 水(みず)暗(あん)に流る
孤猿銜恨叫中秋 孤猿(こえん) 恨みを銜(ふく)んで 中秋(ちゅうしゅう)に叫ぶ
三声欲断疑腸断 三声(さんせい) 断(た)えんと欲して 腸(はらわた)断ゆるかと疑う
饒是少年須白頭 饒(たと)い是れ少年なりとも 須(すべか)らく白頭なるべし
⊂訳⊃
青い靄のなかの白い月 ひそやかに水は流れ
中秋の孤猿の鳴き声が 恨むように聞こえてくる
三声まさに絶えんとし 腸も千切れるほどだ
その悲しげな啼き声に 若い黒髪も白髪となる
⊂ものがたり⊃ この詩を含め、次回と次々回の三首は制作年不明の詩ですが、三首に際立っている特徴は「月白」「白頭」「白髪」「雪」と白の基調がつづくことです。白は衰退を予感させる語で、杜牧は自分の未来に希望をなくしているようです。
江南の猿の鳴き声は、李白も杜甫も詠っています。その音色の違う三つの泣き声は、はらわたが千切れるほどに悲痛なもので、杜牧は若者の黒い髪も白髪になるほどだと言っています。
杜牧ー121
初冬夜飲 初冬の夜飲
淮陽多病偶求懽 淮陽(わいよう)多病 偶(たま)たま懽(かん)を求む
客袖侵霜与燭盤 客袖(かくしゅう) 霜に侵されて 燭盤(しょくばん)に与(むか)う
砌下梨花一堆雪 砌下(せいか)の梨花(りか) 一堆(いったい)の雪
明年誰此凭欄干 明年 誰(たれ)か此(ここ)に 欄干(らんかん)に凭(よ)らん
⊂訳⊃
淮陽の太守は疾がち 酒を飲んで憂さを晴らす
旅人に寒気は厳しく 燭台に向かって坐している
石階にうず高い雪 梨花のように真っ白だ
来年いまごろ欄干に 寄りかかるのは誰だろう
⊂ものがたり⊃ 詩題に「初冬」(しょとう)とありますので冬十月の作でしょう。冬を詠う作品は少ないので、この年の冬に作られた可能性が高いと思います。
起句の「淮陽多病」は、漢代の汲黯(きゅうあん)が病弱を理由に淮陽太守の職を辞した故事をさします。汲黯は景帝・武帝に仕え、直言してはばからぬ剛直の士でした。東海太守に任ぜられたときは、郡内がよく治まったといいますが、のちに淮陽の郡守に任ぜられたときは疾を理由に断りました。しかし、聴き入れられず、赴任して任地で亡くなったといいます。
杜牧は自分を汲黯に重ね合わせて詠っており、「石階」(きざはし)の上の「一堆の雪」には不吉なものさえ感じます。江南で大雪が積もるのは珍しかったかもしれません。気温の急激な低下は、温暖化の場合と同様、自然災害の原因となり、農業の不振をもたらします。江南の大雪は中国の治安が乱れる予兆であったかもしれません。
そうした冬のさなかの十二月、李徳裕が潮州(広東省潮州市)司馬に流されたという報せが届きました。李徳裕は従六品上に落とされたはずで、流刑に等しい異動です。ここに李党の息の根は完全に止められたと言っていいでしょう。
睦州四韻 睦州四韻
州在釣台辺 州は釣台(ちょうだい)の辺(ほとり)に在り
渓山実可憐 渓山(けいざん) 実に憐れむ可し
有家皆掩映 家(いえ)有りて 皆掩映(えんえい)し
無処不潺湲 処(ところ)として潺湲(せんえん)たらざるは無し
好樹鳴幽鳥 好樹(こうじゅ)に 幽鳥(ゆうちょう)鳴き
晴楼入野煙 晴楼(せいろう)に 野煙(やえん)入る
残春杜陵客 残春(ざんしゅん) 杜陵(とりょう)の客
中酒落花前 酒に中(あた)る 落花の前
⊂訳⊃
睦州は 釣台の近くにあって
山紫水明 まことに美しい
家々は 木立に隠れてちらほら見え
谷川は いたるところでさらさらと流れる
木の間隠れに 鳥は鳴き
晴れた高楼に 霞は淡く流れ入る
晩春の花散る中 杜陵の客は
いつしか酔いに 身をまかす
⊂ものがたり⊃ 冬が去れば、睦州(ぼくしゅう)にも春がめぐってきます。睦州は江南でも最南端に近い土地ですので、春はどこよりも早く来たと言うべきでしょう。山間の春の姿は、思いもよらない美しさでした。
浙江は下流を銭塘江、中流を富春江、上流を新安江といいます。南から流れて来る東陽江が西から流れて来る新安江と合流する地点に睦州はあります。この合流点の北が富春江で、すこし下ったところに「釣台」がありました。
釣台は富春江西岸にある平たい岩で、後漢の高士厳光(げんこう)が釣り糸を垂れたことで有名でした。厳光は光武帝の旧友で後漢の創業に功績がありましたが、光武帝の勧めを辞退して任官せず、富春山の山麓に隠棲しました。厳光はこの地で悠悠自適の生活を送り、釣台で釣り糸を垂れる毎日であったといいます。
「杜陵の客」は杜牧自身であり、大中元年(847)の春、晩春の花吹雪のなか、杜牧は酒に酔い痴れる毎日でした。
杜牧ー118
寓 言 寓 言
暖風遅日柳初含 暖風(だんぷう) 遅日(ちじつ) 柳(やなぎ)初めて含む
顧影看身又自慙 影を顧み 身を看(み)て 又た自ら慙(は)ず
何事明朝独惆悵 何事ぞ明朝(めいちょう)に 独り惆悵(ちゅうちょう)する
杏花時節在江南 杏花(きょうか)の時節 江南に在り
⊂訳⊃
暖かい風 のどかな春よ おぼろに霞む柳の木
改めてわが身を顧みれば 悔いる思いが湧いてくる
聖明の御代に どうして悲しみにくれているのか
杏の花咲く宴の季節に 遠く離れた江南の地で
⊂ものがたり⊃ 春は貢挙の季節であり、都長安の杏園(きょうえん)で新進士たちの祝宴がひらかれる季節でもあります。かつて杜牧も、新進士として希望に燃えていた時期がありました。それがどうしてこんな惨めな状態になってしまったのかと、「自慙」し「惆悵」する杜牧です。
この年の閏三月、宣宗は廃仏の停止を命じ、仏寺の復興を許しました。武宗の政策、つまりはそれを推進した李党の政策はつぎつぎに否定され、党争は牛党の完全な勝利に帰したかのようでした。長安では老いた牛党の指導者に代わって白敏中(白居易の二従兄弟)をはじめとする牛党の若手が宰相になり、李党の官僚を排斥しています。しかし、睦州の杜牧には都からの音沙汰はありません。
杜牧ー119
猿 猿
月白煙青水暗流 月(つき)白く 煙青くして 水(みず)暗(あん)に流る
孤猿銜恨叫中秋 孤猿(こえん) 恨みを銜(ふく)んで 中秋(ちゅうしゅう)に叫ぶ
三声欲断疑腸断 三声(さんせい) 断(た)えんと欲して 腸(はらわた)断ゆるかと疑う
饒是少年須白頭 饒(たと)い是れ少年なりとも 須(すべか)らく白頭なるべし
⊂訳⊃
青い靄のなかの白い月 ひそやかに水は流れ
中秋の孤猿の鳴き声が 恨むように聞こえてくる
三声まさに絶えんとし 腸も千切れるほどだ
その悲しげな啼き声に 若い黒髪も白髪となる
⊂ものがたり⊃ この詩を含め、次回と次々回の三首は制作年不明の詩ですが、三首に際立っている特徴は「月白」「白頭」「白髪」「雪」と白の基調がつづくことです。白は衰退を予感させる語で、杜牧は自分の未来に希望をなくしているようです。
江南の猿の鳴き声は、李白も杜甫も詠っています。その音色の違う三つの泣き声は、はらわたが千切れるほどに悲痛なもので、杜牧は若者の黒い髪も白髪になるほどだと言っています。
杜牧ー121
初冬夜飲 初冬の夜飲
淮陽多病偶求懽 淮陽(わいよう)多病 偶(たま)たま懽(かん)を求む
客袖侵霜与燭盤 客袖(かくしゅう) 霜に侵されて 燭盤(しょくばん)に与(むか)う
砌下梨花一堆雪 砌下(せいか)の梨花(りか) 一堆(いったい)の雪
明年誰此凭欄干 明年 誰(たれ)か此(ここ)に 欄干(らんかん)に凭(よ)らん
⊂訳⊃
淮陽の太守は疾がち 酒を飲んで憂さを晴らす
旅人に寒気は厳しく 燭台に向かって坐している
石階にうず高い雪 梨花のように真っ白だ
来年いまごろ欄干に 寄りかかるのは誰だろう
⊂ものがたり⊃ 詩題に「初冬」(しょとう)とありますので冬十月の作でしょう。冬を詠う作品は少ないので、この年の冬に作られた可能性が高いと思います。
起句の「淮陽多病」は、漢代の汲黯(きゅうあん)が病弱を理由に淮陽太守の職を辞した故事をさします。汲黯は景帝・武帝に仕え、直言してはばからぬ剛直の士でした。東海太守に任ぜられたときは、郡内がよく治まったといいますが、のちに淮陽の郡守に任ぜられたときは疾を理由に断りました。しかし、聴き入れられず、赴任して任地で亡くなったといいます。
杜牧は自分を汲黯に重ね合わせて詠っており、「石階」(きざはし)の上の「一堆の雪」には不吉なものさえ感じます。江南で大雪が積もるのは珍しかったかもしれません。気温の急激な低下は、温暖化の場合と同様、自然災害の原因となり、農業の不振をもたらします。江南の大雪は中国の治安が乱れる予兆であったかもしれません。
そうした冬のさなかの十二月、李徳裕が潮州(広東省潮州市)司馬に流されたという報せが届きました。李徳裕は従六品上に落とされたはずで、流刑に等しい異動です。ここに李党の息の根は完全に止められたと言っていいでしょう。