清34ー趙翼
野 歩 野 歩
峭寒催換木綿裘 峭寒(しょうかん) 換(か)うるを催(うなが)す 木綿(もめん)の裘(きゅう)
倚杖郊原作近游 杖に倚(よ)りて 郊原(こうげん)に近游(きんゆう)を作(な)す
最是秋風管閑事 最も是(こ)れ 秋風(しゅうふう) 閑事(かんじ)を管(かん)し
紅他楓葉白人頭 他(か)の楓葉(ふうよう)を紅(くれない)ならしめ 人頭(じんとう)を白ならしむ
⊂訳⊃
厳しい寒さ 木綿の上着を皮衣にかえる
杖をついて 郊外の野原を散歩する
秋風が 余計なお世話をしでかして
楓の葉を紅葉させ わたしの頭を白髪にする
⊂ものがたり⊃ 趙翼(ちょうよく:1727―1814)は陽湖(江蘇省武進県)の人。雍正五年(1727)に生まれ、乾隆二十六年(1761)に三十五歳で進士に及第、地方官を歴任して貴西兵備道に至ります。職を辞して安定書院の主講になり、講義と著述に専念します。史学・考証学にすぐれ、嘉慶十九年(1814)になくなりました。享年八十八歳です。
詩題の「野歩」(やほ)は野原の散歩のこと。寒気が厳しくなった晩秋の野です。前半二句で詩の書かれた状況をしめします。「峭寒」(厳しい寒さ)なので木綿の上着を「裘」(皮衣)に換えて出かけたのでしょう。
後半二句は前半のうらぶれた情感に対して機知を働かせます。「秋風 閑事を管し」がそれで、「閑事」は暇なこと、よけいな世話であり、「管」は管理することです。秋風が余計なことをして楓葉を紅葉させ、わたしの白髪を増やしてくれると世間を皮肉るのでしょう。
野 歩 野 歩
峭寒催換木綿裘 峭寒(しょうかん) 換(か)うるを催(うなが)す 木綿(もめん)の裘(きゅう)
倚杖郊原作近游 杖に倚(よ)りて 郊原(こうげん)に近游(きんゆう)を作(な)す
最是秋風管閑事 最も是(こ)れ 秋風(しゅうふう) 閑事(かんじ)を管(かん)し
紅他楓葉白人頭 他(か)の楓葉(ふうよう)を紅(くれない)ならしめ 人頭(じんとう)を白ならしむ
⊂訳⊃
厳しい寒さ 木綿の上着を皮衣にかえる
杖をついて 郊外の野原を散歩する
秋風が 余計なお世話をしでかして
楓の葉を紅葉させ わたしの頭を白髪にする
⊂ものがたり⊃ 趙翼(ちょうよく:1727―1814)は陽湖(江蘇省武進県)の人。雍正五年(1727)に生まれ、乾隆二十六年(1761)に三十五歳で進士に及第、地方官を歴任して貴西兵備道に至ります。職を辞して安定書院の主講になり、講義と著述に専念します。史学・考証学にすぐれ、嘉慶十九年(1814)になくなりました。享年八十八歳です。
詩題の「野歩」(やほ)は野原の散歩のこと。寒気が厳しくなった晩秋の野です。前半二句で詩の書かれた状況をしめします。「峭寒」(厳しい寒さ)なので木綿の上着を「裘」(皮衣)に換えて出かけたのでしょう。
後半二句は前半のうらぶれた情感に対して機知を働かせます。「秋風 閑事を管し」がそれで、「閑事」は暇なこと、よけいな世話であり、「管」は管理することです。秋風が余計なことをして楓葉を紅葉させ、わたしの白髪を増やしてくれると世間を皮肉るのでしょう。