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ティェンタオの自由訳漢詩 清ー張問陶

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 清40ー張問陶
    中秋月下作            中秋月下の作

  一年小別住京華   一年の小別(しょうべつ)  京華(けいか)に住み
  何処逢秋不憶家   何(いず)れの処か  秋に逢(あ)うて家を憶(おも)わざらん
  緘取今宵衣上影   今宵(こよい)の衣上(いじょう)の影を緘取(かんしゅ)して
  他時因夢寄天涯   他時(たじ)  夢に因(よ)って天涯(てんがい)に寄せん

  ⊂訳⊃
          そなたと別れ都に住み  まだ一年にしかならないが

          秋になれば  どこにいようと家を恋しがらずにいられようか

          この夕べ   衣のうえに落ちた月の光を封じこめ

          いつの日か夢に託して  天の果てのそなたに届けたい


 ⊂ものがたり⊃ 乾隆六十年(1795)、乾隆帝は八十五歳になり、退位して太上皇帝になります。翌嘉慶元年正月、愛新覚羅顒琰(ぎょうえん)が即位して嘉慶帝になります。しかし、乾隆帝は退位しても八十九歳で崩じるまで政務を執りつづけました。
 嘉慶四年(1799)から嘉慶帝の親政がはじまりますが、その年に湖北地方で白蓮教徒の反乱が起こり、陝西、四川にも波及して鎮圧するのに五年を要しました。アヘンを最初に中国にもたらしたのはポルトガル人でしたが、イギリスがアヘン交易に乗りだした乾隆四十五年(1780)ころからアヘンの流入量が増加し、広東や福建などの沿海部でアヘン吸飲の習慣がひろがります。
 嘉慶十八年(1813)にアヘンの販売が禁止されると密売が横行し、価格は高騰します。嘉慶二十年には輸入を禁止しますが、密輸入をとどめることはできませんでした。アヘン吸飲の害が社会問題化するなか、嘉慶帝は嘉慶二十五年(1820)に崩じ、七月に愛新覚羅旻寧(びんねい)が即位して道光帝になります。
 アヘン吸飲の害が拡がった嘉慶年間から道光年間にかけて流行した詩体を「嘉道体」といいます。そのころ朝廷に仕えた官僚詩人は社会や政事といった「公」には目をむけず、ひたすら「私」を題材として詞藻の洗練につとめました。艶やかな措辞と繊細な抒情を重んじるのが「嘉道体」で、張問陶(ちょうもんとう)と陳文述(ちんぶんじゅつ)はその代表的な詩人です。満州族の高官が睨みを利かせているなか、官吏として詩を作るには「私」に閉じこもるしかなかったのです。
 張問陶(1746―1814)は遂寧(四川省遂寧県)の人。乾隆二十九年(1746)、陶県(山東省陶県)に生まれ、乾隆五十五年(1790)、二十七歳で進士に及第します。翰林院検討、都察院御史、吏部郎中などを歴任し、そのご萊州府(山東省萊県)の知府になりますが、上官とあわず辞職して江南を遊歴します。詩は袁枚の推賞をうけ、四川第一の詩人と称され、嘉道体の創始者となります。嘉慶十九年(1814)に蘇州(江蘇省蘇州市)でなくなり、享年五十一歳でした。
 詩は乾隆五十五年(1790)八月十五日夜の作です。この年の春、進士に及第して官職に就いたものの北京での生活は意に添いませんでした。そんななか、四川の故郷に残してきた妻を想う詩です。転句の「緘取」は封書に封じこめること。この詩は他人にしめすような作品ではなく、妻への書信に添えて送ったものでしょう。

 清41ー張問陶
   得家書二首 其二       家書を得たり 二首  其の二

  倚枕愁聴午夜砧   枕に倚(よ)り  愁(うれ)えて聴く  午夜(ごや)の砧(ちん)
  客窓風雨一燈深   客窓(きゃくそう)  風雨  一燈(いつとう)深し
  五千里外常飢走   五千里外  常に飢走(きそう)し
  二十年來費苦吟   二十年来  苦吟(くぎん)を費(ついや)す
  白髪高堂游子夢   白髪(はくはつ)の高堂(こうどう)  游子(ゆうし)の夢
  青山老屋故鄕心   青山(せいざん)の老屋(ろうおく)  故郷(こきょう)の心
  家書只作奇書讀   家書(かしょ)は只(た)だ  奇書(きしょ)と作(な)して読み
  語簡情多仔細尋   語(ご)  簡(かん)にして  情(じょう)多(おお)きを  仔細(しさい)に尋ぬ

  ⊂訳⊃
          悲しい気持ちで寝床につき  真夜中の砧の音を聴く
          宿舎の窓に吹きつける風雨  灯火はじっと動かない
          五千里の異郷で  齷齪とはたらき
          二十年このかた  詩作に打ちこんできた
          旅先の私の夢に  白髪の父上と母上があらわれ
          古里を思う心は  山に囲まれた古い家へとむかう
          妻からの便りは  貴重な書物のように丁寧に読み
          言葉は簡潔でも  思いの深さを隅々まで味わいつくす


 ⊂ものがたり⊃ 詩題の「家書」(かしょ)は家族からの書信です。ここでは妻からの便りでしょう。制作年は不明ですが、萊州(山東省萊県)の知府事になったときが考えられます。はじめの二句は作者の現状です。
 「午夜の砧」は真夜中の砧(きぬた)の音で、それを聴きながら寝床に横たわっています。「客窓」は旅の宿舎の窓で、知萊州府のときであれば官舎の窓です。砧は冬着の布を柔らかくするために台に載せて槌で打つもので、旅先の夫を思って働く妻の姿は秋の風物詩でした。
 中四句はじめの対句は、これまでの自分の生活を描きます。妻を四川の遂寧に置いているので、北京も萊州も「五千里外」の異郷です。「二十年来」は詩を作りはじめた若いころからの二十年でしょう。つづく対句はいまの心境を別の角度からのべるもので、きちんと決まった名句です。「高堂」は両親、「青山」は緑の山に囲まれた故郷の意味でしょう。最後の二句は便りをもらったことへの感謝の言葉で結ばれます。詩は家族へのひたすらな思いで貫かれていますが、詩句はきわめて整っていて欠けるところがありません。(2016.9.10)

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