清29ー袁枚
紙 鳶 紙 鳶
紙鳶風骨仮稜嶒 紙鳶(しえん)の風骨(ふうこつ) 稜嶒(りょうそう)に仮(か)る
躡慣青雲自覚能 青雲(せいうん)を躡(ふ)み慣れて 自(みずか)ら能(のう)あるを覚ゆ
一日風停落泥滓 一日(いちじつ) 風(かぜ)停(とど)まって泥滓(でいし)に落つれば
低飛還不及蒼蠅 低飛(ていひ) 還(ま)た蒼蠅(そうよう)に及ばず
⊂訳⊃
紙凧の姿かたちは 骨ばっていかめしい
青雲を歩きなれて 才能があると思っている
いったん風がやんで 泥水のなかに落ちれば
低く飛ぼうとしても もはや蠅におよばないのだ
⊂ものがたり⊃ 後世「乾隆三大家」と称される袁枚(えんばい)、蔣士銓(しょうしせん)、趙翼(ちょうよく)は紀昀と同世代です。三人とも朝廷に仕えますが途中で職を辞し、野にくだって詩文の活動に従事します。官僚になった経験はありますが詩人としては在野とみなされています。「文字の獄」の厳しいなか、大家と称される詩を残した詩人たちです。
袁枚(1716―1797)は銭塘(浙江省杭州市)の人。康煕五十五年(1716)に生まれ、乾隆四年(1793)に二十四歳で進士に及第します。六十七歳で進士に及第した深徳潜と同年(進士に及第した年が同じ)です。各地の知県を歴任しますが官途に満足できず、乾隆二十年(1755)、四十歳のときに官を辞して故郷に帰ります。
江寧(江蘇省南京市)の小倉山に山荘「随園」をひらいて詩文の創作に専念します。詩論家としては深徳潜の格調説に反対し、感情のありのままの発露を重んじる性霊説を唱えました。また『子不語』という怪奇小説なども書き、多才の文人でした。
在野四十余年、多くの弟子を育成し、江南文壇の重鎮になります。女性の弟子が五十人いたことでも有名です。山水田園を愛し、六十歳を過ぎてからも多くの弟子をつれて各地を遊歴したといいます。嘉慶二年(1797)になくなり、享年八十二歳です。
詩題の「紙鳶」(しえん)は紙を張った凧のことです。詠物詩であり、寓意をふくみます。前半二句で「紙鳶」を擬人化して描きます。「風骨」は姿かたちですが、精神性がふくまれています。「稜嶒」は山が骨ばって聳えていること。「青雲」の背後には当然、青雲の志という成句がひかえており、才能もないのに出世街道を歩いている者を皮肉っているのです。
だから後半二句では、風がやんで「泥滓」(泥水)に落ちてしまえば、飛ぼうとしても「蒼蠅」におよばないと詠うのです。蒼蠅は『詩経』の昔から口先だけのつまらない人物の喩えとして用いられており、それ以下だというのです。
紙 鳶 紙 鳶
紙鳶風骨仮稜嶒 紙鳶(しえん)の風骨(ふうこつ) 稜嶒(りょうそう)に仮(か)る
躡慣青雲自覚能 青雲(せいうん)を躡(ふ)み慣れて 自(みずか)ら能(のう)あるを覚ゆ
一日風停落泥滓 一日(いちじつ) 風(かぜ)停(とど)まって泥滓(でいし)に落つれば
低飛還不及蒼蠅 低飛(ていひ) 還(ま)た蒼蠅(そうよう)に及ばず
⊂訳⊃
紙凧の姿かたちは 骨ばっていかめしい
青雲を歩きなれて 才能があると思っている
いったん風がやんで 泥水のなかに落ちれば
低く飛ぼうとしても もはや蠅におよばないのだ
⊂ものがたり⊃ 後世「乾隆三大家」と称される袁枚(えんばい)、蔣士銓(しょうしせん)、趙翼(ちょうよく)は紀昀と同世代です。三人とも朝廷に仕えますが途中で職を辞し、野にくだって詩文の活動に従事します。官僚になった経験はありますが詩人としては在野とみなされています。「文字の獄」の厳しいなか、大家と称される詩を残した詩人たちです。
袁枚(1716―1797)は銭塘(浙江省杭州市)の人。康煕五十五年(1716)に生まれ、乾隆四年(1793)に二十四歳で進士に及第します。六十七歳で進士に及第した深徳潜と同年(進士に及第した年が同じ)です。各地の知県を歴任しますが官途に満足できず、乾隆二十年(1755)、四十歳のときに官を辞して故郷に帰ります。
江寧(江蘇省南京市)の小倉山に山荘「随園」をひらいて詩文の創作に専念します。詩論家としては深徳潜の格調説に反対し、感情のありのままの発露を重んじる性霊説を唱えました。また『子不語』という怪奇小説なども書き、多才の文人でした。
在野四十余年、多くの弟子を育成し、江南文壇の重鎮になります。女性の弟子が五十人いたことでも有名です。山水田園を愛し、六十歳を過ぎてからも多くの弟子をつれて各地を遊歴したといいます。嘉慶二年(1797)になくなり、享年八十二歳です。
詩題の「紙鳶」(しえん)は紙を張った凧のことです。詠物詩であり、寓意をふくみます。前半二句で「紙鳶」を擬人化して描きます。「風骨」は姿かたちですが、精神性がふくまれています。「稜嶒」は山が骨ばって聳えていること。「青雲」の背後には当然、青雲の志という成句がひかえており、才能もないのに出世街道を歩いている者を皮肉っているのです。
だから後半二句では、風がやんで「泥滓」(泥水)に落ちてしまえば、飛ぼうとしても「蒼蠅」におよばないと詠うのです。蒼蠅は『詩経』の昔から口先だけのつまらない人物の喩えとして用いられており、それ以下だというのです。