清33ー蔣士銓
湖上晩歸 湖上 晩に帰る
湿雲鴉背重 湿雲(しつうん) 鴉背(あはい)重く
野寺出新晴 野寺(やじ) 新晴(しんせい)に出づ
敗葉存秋気 敗葉(はいよう) 秋気(しゅうき)を存(そん)し
寒鐘過雨声 寒鐘(かんしょう) 雨声(うせい)に過(よぎ)る
半檐群鳥入 半檐(はんえん) 群鳥(ぐんちょう)入り
深樹一燈明 深樹(しんじゅ) 一灯(いっとう)明らかなり
猟猟西風勁 猟猟(りょうりょう)として 西風(せいふう)勁(つよ)く
湖心月乍生 湖心(こしん) 月 乍(たちま)ち生ず
⊂訳⊃
湿った雨雲が 鴉の背中のように黒く重く垂れ
寂れた寺が 晴れ間の光に浮きでている
枯れた葉に 秋の気配がよどみ
鐘の音が 雨のなかを過ぎていく
崩れた庇を 鳥たちは群れて出入りし
樹の繁みから 明るい灯火が洩れでている
西風は ひょうひょうと吹きつのり
湖の中央に 月がたちまち顔をだす
⊂ものがたち⊃ 蔣士銓(しょうしせん:1725―1785)は鉛山(江西省鉛山県)の人。雍正三年(1725)の生まれです。乾隆二十二年(1757)に三十三歳で進士に及第し、蕺山(しゅうざん)・崇文(すうぶん)・安定(あんてい)三書院の長などをへて翰林院編修に至ります。戯曲作家として名を成し、乾隆五十年(1785)になくなりました。享年六十一歳です。
詩題の「湖上 晩に帰る」は夜、湖上を舟で家に帰ること。その途中で目にしたものを描く詩で、一句ごとに視点をかえて丹念に詩句を積み重ねる手法の五言律詩です。第一句から難解ですが、「鴉背重く」は雨雲の重く垂れたようすを鴉の背の黒さに喩えるのでしょう。二句目の「野寺」は高いところから野原をみおろしているわけではないので、官寺ではない寂れた寺の意味でしょう。季節は秋で、雨も降りだしたようです。その雨のなかを寒々とした鐘の音が流れていきます。
五句目の「半檐」も難解で「半」には中央という意味があります。しかし、ここでは本来の半ばの意味と考え、半ば崩れた廃屋の庇と考えました。つぎの「一灯明らかなり」には人の生活が感じられ、作者もほっとするのでしょう。しかし、現実は厳しく「猟猟として 西風勁く」です。「西風」は秋風で冬をよぶ風です。やがて雨のやんだ湖の中央真上に月が突然姿をあらわします。抒情に酔うことのない醒めた詩です。
湖上晩歸 湖上 晩に帰る
湿雲鴉背重 湿雲(しつうん) 鴉背(あはい)重く
野寺出新晴 野寺(やじ) 新晴(しんせい)に出づ
敗葉存秋気 敗葉(はいよう) 秋気(しゅうき)を存(そん)し
寒鐘過雨声 寒鐘(かんしょう) 雨声(うせい)に過(よぎ)る
半檐群鳥入 半檐(はんえん) 群鳥(ぐんちょう)入り
深樹一燈明 深樹(しんじゅ) 一灯(いっとう)明らかなり
猟猟西風勁 猟猟(りょうりょう)として 西風(せいふう)勁(つよ)く
湖心月乍生 湖心(こしん) 月 乍(たちま)ち生ず
⊂訳⊃
湿った雨雲が 鴉の背中のように黒く重く垂れ
寂れた寺が 晴れ間の光に浮きでている
枯れた葉に 秋の気配がよどみ
鐘の音が 雨のなかを過ぎていく
崩れた庇を 鳥たちは群れて出入りし
樹の繁みから 明るい灯火が洩れでている
西風は ひょうひょうと吹きつのり
湖の中央に 月がたちまち顔をだす
⊂ものがたち⊃ 蔣士銓(しょうしせん:1725―1785)は鉛山(江西省鉛山県)の人。雍正三年(1725)の生まれです。乾隆二十二年(1757)に三十三歳で進士に及第し、蕺山(しゅうざん)・崇文(すうぶん)・安定(あんてい)三書院の長などをへて翰林院編修に至ります。戯曲作家として名を成し、乾隆五十年(1785)になくなりました。享年六十一歳です。
詩題の「湖上 晩に帰る」は夜、湖上を舟で家に帰ること。その途中で目にしたものを描く詩で、一句ごとに視点をかえて丹念に詩句を積み重ねる手法の五言律詩です。第一句から難解ですが、「鴉背重く」は雨雲の重く垂れたようすを鴉の背の黒さに喩えるのでしょう。二句目の「野寺」は高いところから野原をみおろしているわけではないので、官寺ではない寂れた寺の意味でしょう。季節は秋で、雨も降りだしたようです。その雨のなかを寒々とした鐘の音が流れていきます。
五句目の「半檐」も難解で「半」には中央という意味があります。しかし、ここでは本来の半ばの意味と考え、半ば崩れた廃屋の庇と考えました。つぎの「一灯明らかなり」には人の生活が感じられ、作者もほっとするのでしょう。しかし、現実は厳しく「猟猟として 西風勁く」です。「西風」は秋風で冬をよぶ風です。やがて雨のやんだ湖の中央真上に月が突然姿をあらわします。抒情に酔うことのない醒めた詩です。