清28ー紀 昀
甘 瓜 甘 瓜
甘瓜別種碧団圝 甘瓜(かんか)の別種(べつしゅ) 碧団圝(へきだんらん)
錯作花門小笠看 錯(あやま)って 花門(かもん)の小笠(しょうりゅう)と作(な)して看(み)る
午夢初回微渴後 午夢(ごむ) 初めて回(かえ)り 微(すこ)しく渇(かつ)するの後(のち)
嚼来真似水晶寒 嚼来(しゃくらい) 真(まこと)に似たり 水晶の寒
⊂訳⊃
この瓜は甘瓜の仲間 青緑色で形はまるい
ウイグル族の帽子と 間違えそうだ
昼寝の夢から覚めて 少し喉が渇いたとき
齧ってみたらまるで 水晶のような冷たさだった
⊂このがたり⊃ 紀昀(きいん:1724―1805)は直隷献県(河北省)の人。雍正二年(1724)に生まれ、乾隆十九年(1754)に三十一歳で進士に及第します。事に坐して二年ほど烏魯木斉(新疆ウイグル自治区ウルムチ市)に流されました。都に復帰して『四庫全書』総纂官になり、十五年がかりで完成させます。あわせて学者たちが分坦執筆した『四庫全書総目提要』の校閲補筆をおこないました。大学者であったといえますが幅のひろい文人で、『閲微草堂筆記』という怪奇小説集なども書いています。官は礼部尚書、協辨大学士に至り、嘉慶十年(一八〇五)になくなります。享年八十二歳です。
詩題の「甘瓜」(かんか)はハミ瓜のことですが、当時は甘い瓜の一種とみなされていたようです。烏魯木斉に流されていたときの作品で、はじめの二句で瓜の外観を「碧団圝」(青緑色でまるい)といい、「花門の小笠」(ウイグル族の帽子)のようだと詠います。 後半二句はそれを食べたときの感想で、昼寝から覚めて喉が渇いていました。そんなとき「嚼来」(噛んで食べる)しましたが、水晶のようにひんやりした舌ざわりでした。流謫の地での体験を、ウイットを利かせて詠っています。
甘 瓜 甘 瓜
甘瓜別種碧団圝 甘瓜(かんか)の別種(べつしゅ) 碧団圝(へきだんらん)
錯作花門小笠看 錯(あやま)って 花門(かもん)の小笠(しょうりゅう)と作(な)して看(み)る
午夢初回微渴後 午夢(ごむ) 初めて回(かえ)り 微(すこ)しく渇(かつ)するの後(のち)
嚼来真似水晶寒 嚼来(しゃくらい) 真(まこと)に似たり 水晶の寒
⊂訳⊃
この瓜は甘瓜の仲間 青緑色で形はまるい
ウイグル族の帽子と 間違えそうだ
昼寝の夢から覚めて 少し喉が渇いたとき
齧ってみたらまるで 水晶のような冷たさだった
⊂このがたり⊃ 紀昀(きいん:1724―1805)は直隷献県(河北省)の人。雍正二年(1724)に生まれ、乾隆十九年(1754)に三十一歳で進士に及第します。事に坐して二年ほど烏魯木斉(新疆ウイグル自治区ウルムチ市)に流されました。都に復帰して『四庫全書』総纂官になり、十五年がかりで完成させます。あわせて学者たちが分坦執筆した『四庫全書総目提要』の校閲補筆をおこないました。大学者であったといえますが幅のひろい文人で、『閲微草堂筆記』という怪奇小説集なども書いています。官は礼部尚書、協辨大学士に至り、嘉慶十年(一八〇五)になくなります。享年八十二歳です。
詩題の「甘瓜」(かんか)はハミ瓜のことですが、当時は甘い瓜の一種とみなされていたようです。烏魯木斉に流されていたときの作品で、はじめの二句で瓜の外観を「碧団圝」(青緑色でまるい)といい、「花門の小笠」(ウイグル族の帽子)のようだと詠います。 後半二句はそれを食べたときの感想で、昼寝から覚めて喉が渇いていました。そんなとき「嚼来」(噛んで食べる)しましたが、水晶のようにひんやりした舌ざわりでした。流謫の地での体験を、ウイットを利かせて詠っています。