清24ー厲鶚
昼 臥 昼 臥
妄心澡雪尽教空 妄心(もうしん) 澡(あら)い雪(すす)いで尽(ことごと)く空(くう)ならしめ
長日関門一枕中 長日(ちょうじつ) 門を関(とざ)す 一枕(いっちん)の中(うち)
跂脚飛塵難我涴 脚(あし)を跂(つまだ)てば飛ぶ塵も 我れを涴(けが)し難(がた)く
支頤清夢許誰同 頤(あご)を支(ささ)うる清夢(せいむ) 誰許(だれ)と同(とも)にせん
黒驚燕子翻堦影 黒きに驚けば 燕子(えんし)の堦(きざはし)に翻える影
涼受槐花灑地風 涼(すず)しきを受くるは 槐花(かいか)の地に灑(そそ)ぐ風
慙愧夕陽如有意 慙愧(ありがた)し 夕陽(せきよう) 意(い)有るが如く
醒来毎到小窓東 醒(さ)め来たれば毎(つね)に小窓(しょうそう)の東に到る
⊂訳⊃
妄執を洗い流して 気分もさっぱり
夏の日ながに 門を閉めてひと眠りする
つま立てば 吹き飛ぶほどの塵も寄りつかず
頬杖をついて 辿る夢路に道連れはいらない
黒いものに驚くと きざはしに舞う燕の影
ひんやりしたのは 槐の花を散らして吹いた風
ありがたいものだ 夕陽に情けがあるように
目覚めるといつも 東の小窓のむこうに日の光が射している
⊂ものがたり⊃ 厲鶚(れいがく:1692―1752)は銭塘(浙江省杭州市)の人。康煕三十一年(1692)に貧家に生まれます。苦学して康熙五十九年(1720)、二十九歳のときに挙人になり、翌年会試に挑みましたが落第しました。乾隆元年(1736)、四十五歳のときに博学鴻詞に推挙されますが及第せず、挙人のまま郷里で過ごしました。富豪の援助を受けながら学問に励み、遼・宋の歴史を研究して乾隆十七年(1752)になくなります。享年六十一歳です。
詩は康熙六十年(1721)、三十歳の夏の作です。詩題に「晝臥」(ひるね)とあるように、このとき会試に落第して郷里に帰っていました。その悔しさをみずから慰める詩です。
はじめの二句で「妄心」(落第した悔しさ)をきれいさっぱりと洗いながし、門を閉じてひと眠りしていると状況をしめします。「長日」は夏の日ながのことです。つぎの二句は失望して孤独になっている自分の姿ですが、比喩におもしろみがあります。「許誰」については二字で「だれ」とする訓にしたがいました。
つづく二句は寝ているまわりの情景です。黒い物が走ったと思ったら、それは燕の飛ぶ影であり、急にひんやりしたと思ったら、それは「槐花」(エンジュの花)を吹き落とした風でした。ここにも会試に落第した自分への比喩があります。
最後の二句はみずからを慰める結びです。「慙愧」は感謝の言葉で、唐以来の俗語を用いています。「小窓の東に到る」は東の小窓のむこうに夕陽の光が射していたと解しました。夕陽に心があるように、目覚めるといつも東の小窓のむこうに日の光が射していると詠うのです。
昼 臥 昼 臥
妄心澡雪尽教空 妄心(もうしん) 澡(あら)い雪(すす)いで尽(ことごと)く空(くう)ならしめ
長日関門一枕中 長日(ちょうじつ) 門を関(とざ)す 一枕(いっちん)の中(うち)
跂脚飛塵難我涴 脚(あし)を跂(つまだ)てば飛ぶ塵も 我れを涴(けが)し難(がた)く
支頤清夢許誰同 頤(あご)を支(ささ)うる清夢(せいむ) 誰許(だれ)と同(とも)にせん
黒驚燕子翻堦影 黒きに驚けば 燕子(えんし)の堦(きざはし)に翻える影
涼受槐花灑地風 涼(すず)しきを受くるは 槐花(かいか)の地に灑(そそ)ぐ風
慙愧夕陽如有意 慙愧(ありがた)し 夕陽(せきよう) 意(い)有るが如く
醒来毎到小窓東 醒(さ)め来たれば毎(つね)に小窓(しょうそう)の東に到る
⊂訳⊃
妄執を洗い流して 気分もさっぱり
夏の日ながに 門を閉めてひと眠りする
つま立てば 吹き飛ぶほどの塵も寄りつかず
頬杖をついて 辿る夢路に道連れはいらない
黒いものに驚くと きざはしに舞う燕の影
ひんやりしたのは 槐の花を散らして吹いた風
ありがたいものだ 夕陽に情けがあるように
目覚めるといつも 東の小窓のむこうに日の光が射している
⊂ものがたり⊃ 厲鶚(れいがく:1692―1752)は銭塘(浙江省杭州市)の人。康煕三十一年(1692)に貧家に生まれます。苦学して康熙五十九年(1720)、二十九歳のときに挙人になり、翌年会試に挑みましたが落第しました。乾隆元年(1736)、四十五歳のときに博学鴻詞に推挙されますが及第せず、挙人のまま郷里で過ごしました。富豪の援助を受けながら学問に励み、遼・宋の歴史を研究して乾隆十七年(1752)になくなります。享年六十一歳です。
詩は康熙六十年(1721)、三十歳の夏の作です。詩題に「晝臥」(ひるね)とあるように、このとき会試に落第して郷里に帰っていました。その悔しさをみずから慰める詩です。
はじめの二句で「妄心」(落第した悔しさ)をきれいさっぱりと洗いながし、門を閉じてひと眠りしていると状況をしめします。「長日」は夏の日ながのことです。つぎの二句は失望して孤独になっている自分の姿ですが、比喩におもしろみがあります。「許誰」については二字で「だれ」とする訓にしたがいました。
つづく二句は寝ているまわりの情景です。黒い物が走ったと思ったら、それは燕の飛ぶ影であり、急にひんやりしたと思ったら、それは「槐花」(エンジュの花)を吹き落とした風でした。ここにも会試に落第した自分への比喩があります。
最後の二句はみずからを慰める結びです。「慙愧」は感謝の言葉で、唐以来の俗語を用いています。「小窓の東に到る」は東の小窓のむこうに夕陽の光が射していたと解しました。夕陽に心があるように、目覚めるといつも東の小窓のむこうに日の光が射していると詠うのです。