清15ー宋 琬
舟中見猟犬有感二首 舟中にて猟犬を見て感有り 二首
其一 其の一
秋水蘆花一片明 秋水(しゅうすい) 蘆花(ろか) 一片(いっぺん)の明(めい)
難同鷹隼共功名 鷹隼(ようじゅん)と同(とも)に 功名(こうみょう)を共にし難し
檣辺飯飽垂頭睡 檣辺(しょうへん) 飯(はん)に飽(あ)き 頭(こうべ)を垂れて睡(ねむ)る
他似英雄髀肉生 他(ま)た似(に)たり 英雄 髀肉(ひにく)の生ずるに
⊂訳⊃
秋の川岸一面に 芦の穗が明るくひろがっている
飛べない犬は 空飛ぶ鷹や隼のようにはいかない
餌を食べ飽きて 帆柱のそばでうなだれている
その姿は勇士が 腿の贅肉を嘆くのに似ている
⊂ものがたり⊃ 宋琬(そうえん:1614―1673)は萊陽(山東省萊陽県)の人。万暦四十二年に生まれ、三十一歳のとき明の滅亡に遇います。清の順治四年(1647)、三十四歳で進士に及第し、累進して吏部郎中に至ります。しかし、讒言にあい下獄して三年、冤罪が晴れ、釈放されて故郷に帰ります。施閏章(しじゅんしょう)らと詩の応酬をおこない「燕台七子」と称されます。康煕十一年(1672)に四川按察使に起用されますが、翌康煕十二年(1673)になくなりました。享年六十歳です。
舟旅をしているとき猟犬をつれた舟客にあいました。その猟犬をみての感慨を詠います。季節は秋、詩は岸辺の眺めから始まります。「蘆花」は葦の秋穗、「一片」は一面に広がるようすです。
承句は猟犬をみての感想で、舟中の犬は獲物を追って走ることができず、空飛ぶ鷹や隼のような活躍の場がありません。このとき鷹や隼が飛んでいたわけではなく、地上を走る犬と飛ぶ鳥を比較したのです。そのことは活躍の場に制約のある人、自由でない人との対比でもあります。
後半二句は舟上の猟犬の描写です。犬は餌を食べ飽きて「檣辺」(帆柱のそば)で手持ち無沙汰に首をうなだれています。その姿は「英雄」(勇士)が平和な世に「髀肉(もも肉)の嘆」をかこつのに似ていると詠います。この結びには、自分が用いられないことへの不満もこめられていると思われます。
舟中見猟犬有感二首 舟中にて猟犬を見て感有り 二首
其一 其の一
秋水蘆花一片明 秋水(しゅうすい) 蘆花(ろか) 一片(いっぺん)の明(めい)
難同鷹隼共功名 鷹隼(ようじゅん)と同(とも)に 功名(こうみょう)を共にし難し
檣辺飯飽垂頭睡 檣辺(しょうへん) 飯(はん)に飽(あ)き 頭(こうべ)を垂れて睡(ねむ)る
他似英雄髀肉生 他(ま)た似(に)たり 英雄 髀肉(ひにく)の生ずるに
⊂訳⊃
秋の川岸一面に 芦の穗が明るくひろがっている
飛べない犬は 空飛ぶ鷹や隼のようにはいかない
餌を食べ飽きて 帆柱のそばでうなだれている
その姿は勇士が 腿の贅肉を嘆くのに似ている
⊂ものがたり⊃ 宋琬(そうえん:1614―1673)は萊陽(山東省萊陽県)の人。万暦四十二年に生まれ、三十一歳のとき明の滅亡に遇います。清の順治四年(1647)、三十四歳で進士に及第し、累進して吏部郎中に至ります。しかし、讒言にあい下獄して三年、冤罪が晴れ、釈放されて故郷に帰ります。施閏章(しじゅんしょう)らと詩の応酬をおこない「燕台七子」と称されます。康煕十一年(1672)に四川按察使に起用されますが、翌康煕十二年(1673)になくなりました。享年六十歳です。
舟旅をしているとき猟犬をつれた舟客にあいました。その猟犬をみての感慨を詠います。季節は秋、詩は岸辺の眺めから始まります。「蘆花」は葦の秋穗、「一片」は一面に広がるようすです。
承句は猟犬をみての感想で、舟中の犬は獲物を追って走ることができず、空飛ぶ鷹や隼のような活躍の場がありません。このとき鷹や隼が飛んでいたわけではなく、地上を走る犬と飛ぶ鳥を比較したのです。そのことは活躍の場に制約のある人、自由でない人との対比でもあります。
後半二句は舟上の猟犬の描写です。犬は餌を食べ飽きて「檣辺」(帆柱のそば)で手持ち無沙汰に首をうなだれています。その姿は「英雄」(勇士)が平和な世に「髀肉(もも肉)の嘆」をかこつのに似ていると詠います。この結びには、自分が用いられないことへの不満もこめられていると思われます。