清10ー呉偉業
自 歎 自ら歎ず
誤尽平生是一官 平生(へいせい)を誤り尽くすのは 是(こ)れ一官(いっかん)
棄家容易変名難 家を棄(す)つるは容易なるも 名を変ゆるは難(かた)し
松筠敢厭風霜苦 松筠(しょういん) 敢(あえ)て風霜(ふうそう)の苦しみを厭(いと)わんや
魚鳥猶思天地寛 魚鳥(ぎょちょう) 猶(な)お天地の寛(ひろ)きを思う
鼓枻有心逃甫里 枻(せつ)を鼓(こ)して 甫里(ほり)に逃(のが)るる心有りしに
推車何事出長干 車を推(お)して 何事ぞ 長干(ちょうかん)を出(い)でし
旁人休笑陶弘景 旁人(ぼうじん) 笑うを休(や)めよ 陶弘景(とうこうけい)が
神武当年早挂冠 神武(しんぶ)に当年 早く冠(かん)を挂(か)けしを
⊂訳⊃
生涯を台なしにしたのは ただ一度の宮仕え
出家するのは易しいが 名を変えるのは難しい
松や竹のように 風霜の苦に耐えるのを嫌がったわけではない
魚や鳥のように 広い天地に遊びたい気持ちもあった
舟に乗って 甫里に隠れたいと思っていたのに
どうして私は 車に乗って南京を出てきたのか
諸君 笑わないでくれ むかし陶弘景が
神武門に冠を掛けたように 役人をやめて帰ったのだ
⊂ものがたり⊃ わずか二年間でしたが、清朝に仕えたことが終生の悔いでした。はじめ二句の「一官」は、順治十年(1653)に清朝の国子監祭酒になったことをいいます。「家を棄つる」は清朝の薙髪令(辮髪の強制)に服さない者は出家して僧になるよりほかなかったことをさします。
中四句は時世に対する本心をのべるもので、「松筠」(松と竹)は固く節操を守ることの喩えで、「枻を鼓して」はリズムをつけて櫂を漕ぐことです。「甫里」は蘇州の東南にあって、晩唐の詩人陸亀蒙(りくきもう)が隠棲した地です。「長干」は南京南郊の渡津で南京をさします。隠棲する気持ちさえあったのに、どうして車に乗って南京を出てきたのかと後悔するのです。
尾聯の二句は二朝に仕えたことを批難する者に対する作者の言い訳です。。「陶弘景」は南朝斉・梁の隠者で、斉の高帝に招かれて諸王(皇帝の皇子たち)の侍読になりましたが、朝服を神武門に掛けて官を辞し、句曲山に隠れたと伝えられます。「神武」は神武門のことで、自分も陶弘景のように清の官を辞して帰ってきたのだと訴えるのです。
自 歎 自ら歎ず
誤尽平生是一官 平生(へいせい)を誤り尽くすのは 是(こ)れ一官(いっかん)
棄家容易変名難 家を棄(す)つるは容易なるも 名を変ゆるは難(かた)し
松筠敢厭風霜苦 松筠(しょういん) 敢(あえ)て風霜(ふうそう)の苦しみを厭(いと)わんや
魚鳥猶思天地寛 魚鳥(ぎょちょう) 猶(な)お天地の寛(ひろ)きを思う
鼓枻有心逃甫里 枻(せつ)を鼓(こ)して 甫里(ほり)に逃(のが)るる心有りしに
推車何事出長干 車を推(お)して 何事ぞ 長干(ちょうかん)を出(い)でし
旁人休笑陶弘景 旁人(ぼうじん) 笑うを休(や)めよ 陶弘景(とうこうけい)が
神武当年早挂冠 神武(しんぶ)に当年 早く冠(かん)を挂(か)けしを
⊂訳⊃
生涯を台なしにしたのは ただ一度の宮仕え
出家するのは易しいが 名を変えるのは難しい
松や竹のように 風霜の苦に耐えるのを嫌がったわけではない
魚や鳥のように 広い天地に遊びたい気持ちもあった
舟に乗って 甫里に隠れたいと思っていたのに
どうして私は 車に乗って南京を出てきたのか
諸君 笑わないでくれ むかし陶弘景が
神武門に冠を掛けたように 役人をやめて帰ったのだ
⊂ものがたり⊃ わずか二年間でしたが、清朝に仕えたことが終生の悔いでした。はじめ二句の「一官」は、順治十年(1653)に清朝の国子監祭酒になったことをいいます。「家を棄つる」は清朝の薙髪令(辮髪の強制)に服さない者は出家して僧になるよりほかなかったことをさします。
中四句は時世に対する本心をのべるもので、「松筠」(松と竹)は固く節操を守ることの喩えで、「枻を鼓して」はリズムをつけて櫂を漕ぐことです。「甫里」は蘇州の東南にあって、晩唐の詩人陸亀蒙(りくきもう)が隠棲した地です。「長干」は南京南郊の渡津で南京をさします。隠棲する気持ちさえあったのに、どうして車に乗って南京を出てきたのかと後悔するのです。
尾聯の二句は二朝に仕えたことを批難する者に対する作者の言い訳です。。「陶弘景」は南朝斉・梁の隠者で、斉の高帝に招かれて諸王(皇帝の皇子たち)の侍読になりましたが、朝服を神武門に掛けて官を辞し、句曲山に隠れたと伝えられます。「神武」は神武門のことで、自分も陶弘景のように清の官を辞して帰ってきたのだと訴えるのです。