清7ー呉偉業
自 信 自ら信ず
自信平生懶是真 自(みずか)ら信ず 平生(へいせい) 懶(らん)は是(こ)れ真なりと
底須辛苦踏春塵 底(なん)ぞ須(もち)いん 辛苦(しんく) 春塵(しゅんじん)を踏むを
毎逢墟落愁戎馬 墟落(きょらく)に逢(あ)う毎(ごと)に 戎馬(じゅうば)を愁え
却聴風濤話鬼神 却(かえ)って風濤(ふうとう)を聴いて 鬼神(きしん)を話(かた)る
濁酒一杯今夜酔 濁酒(だくしゅ) 一杯 今夜(こんや)酔い
好花明日故園春 好花(こうか) 明日(みょうにち) 故園(こえん)の春
長安冠蓋知多少 長安の冠蓋(かんがい) 知らず多少(いくばく)ぞ
頭白江湖放散人 頭白(かしらしろ)し 江湖(こうこ)放散(ほうさん)の人
⊂訳⊃
怠け癖が おれの本当の姿とわかってきた
苦労して 俗塵にまみれることはないのだ
荒れた村をみるたびに 戦争の惨禍を愁えるが
風波の音を聴きながら 怪談にも興じている
今夜は今夜で 一杯の濁り酒に酔い
明日は明日で 故郷の春の花を楽しむ
都の出世仲間が どれほどいるか知らないが
頭も白くなった 田舎で気ままに暮らすのがよい
⊂ものがたり⊃ 呉偉業(ごいぎょう:1609ー1671)は太倉(江蘇省太倉県)の人。明の万暦三十七年(1609)に生まれ、明末の復社に参加して反体制運動にたずさわります。崇禎四年(1631)、二十三歳のときに状元(首席)で進士に及第。翰林院編修から東宮侍読、南京国子監司業を歴任します。だが、明末の動乱に遭遇し、三十六歳のときに明は滅亡します。
南京で福王に仕えましたが、当局と合わず故郷に隠棲します。十年をへた順治十年(1653)、四十五歳のときに強く要請されて清に仕え、秘書院侍講、国子監祭酒になりますが、二年で母の喪にあい帰郷します。二朝に仕えたことを生涯の恥として、康煕十年(1617)に亡くなります。享年六十三歳です。
自分自身を語り、「自ら信ず」と題します。制作時期は不明ですが、故郷に隠棲していたときの作でしょう。政事に関心を抱いていますが、自分は怠惰な人間であり、縛られない自由な生活を望んでいると詠います。
はじめの二句で隠棲している自分の立場をのべます。「春塵」は春に舞う砂埃ですが、通常「塵」は世俗の塵、官界の汚濁に喩えます。中四句はさらに踏みこんだ自己認識で、「戎馬」(兵馬・戦争)の惨禍には心を傷めるのですが、一方では「風濤」(風と波)、つまりこの世の嵐の音を聴きながら、「鬼神」(霊魂や死者)について語ることも好んでいます。夜は酒を飲み、翌日は花を眺めて楽しむのです。「故園」は故郷といった意味です。
尾聯は結びの感懐で、「長安」は都北京のこと。「冠蓋」は冠と車の幌で、政府高官のことです。昔の仲間の何人が都でときめいているかは知らないが、自分は頭も白くなった。「江湖放散の人」で終わるつもりだと強がってみせます。「江湖」は朝廷に対する在野を意味し、地方で気ままに暮らすつもりと詠うのです。
自 信 自ら信ず
自信平生懶是真 自(みずか)ら信ず 平生(へいせい) 懶(らん)は是(こ)れ真なりと
底須辛苦踏春塵 底(なん)ぞ須(もち)いん 辛苦(しんく) 春塵(しゅんじん)を踏むを
毎逢墟落愁戎馬 墟落(きょらく)に逢(あ)う毎(ごと)に 戎馬(じゅうば)を愁え
却聴風濤話鬼神 却(かえ)って風濤(ふうとう)を聴いて 鬼神(きしん)を話(かた)る
濁酒一杯今夜酔 濁酒(だくしゅ) 一杯 今夜(こんや)酔い
好花明日故園春 好花(こうか) 明日(みょうにち) 故園(こえん)の春
長安冠蓋知多少 長安の冠蓋(かんがい) 知らず多少(いくばく)ぞ
頭白江湖放散人 頭白(かしらしろ)し 江湖(こうこ)放散(ほうさん)の人
⊂訳⊃
怠け癖が おれの本当の姿とわかってきた
苦労して 俗塵にまみれることはないのだ
荒れた村をみるたびに 戦争の惨禍を愁えるが
風波の音を聴きながら 怪談にも興じている
今夜は今夜で 一杯の濁り酒に酔い
明日は明日で 故郷の春の花を楽しむ
都の出世仲間が どれほどいるか知らないが
頭も白くなった 田舎で気ままに暮らすのがよい
⊂ものがたり⊃ 呉偉業(ごいぎょう:1609ー1671)は太倉(江蘇省太倉県)の人。明の万暦三十七年(1609)に生まれ、明末の復社に参加して反体制運動にたずさわります。崇禎四年(1631)、二十三歳のときに状元(首席)で進士に及第。翰林院編修から東宮侍読、南京国子監司業を歴任します。だが、明末の動乱に遭遇し、三十六歳のときに明は滅亡します。
南京で福王に仕えましたが、当局と合わず故郷に隠棲します。十年をへた順治十年(1653)、四十五歳のときに強く要請されて清に仕え、秘書院侍講、国子監祭酒になりますが、二年で母の喪にあい帰郷します。二朝に仕えたことを生涯の恥として、康煕十年(1617)に亡くなります。享年六十三歳です。
自分自身を語り、「自ら信ず」と題します。制作時期は不明ですが、故郷に隠棲していたときの作でしょう。政事に関心を抱いていますが、自分は怠惰な人間であり、縛られない自由な生活を望んでいると詠います。
はじめの二句で隠棲している自分の立場をのべます。「春塵」は春に舞う砂埃ですが、通常「塵」は世俗の塵、官界の汚濁に喩えます。中四句はさらに踏みこんだ自己認識で、「戎馬」(兵馬・戦争)の惨禍には心を傷めるのですが、一方では「風濤」(風と波)、つまりこの世の嵐の音を聴きながら、「鬼神」(霊魂や死者)について語ることも好んでいます。夜は酒を飲み、翌日は花を眺めて楽しむのです。「故園」は故郷といった意味です。
尾聯は結びの感懐で、「長安」は都北京のこと。「冠蓋」は冠と車の幌で、政府高官のことです。昔の仲間の何人が都でときめいているかは知らないが、自分は頭も白くなった。「江湖放散の人」で終わるつもりだと強がってみせます。「江湖」は朝廷に対する在野を意味し、地方で気ままに暮らすつもりと詠うのです。