清4ー銭謙益
燈下看内人挿甁花 燈下に内人の瓶花を挿すを看て
戲題四絶句 其一 戲れに四絶句を題す 其の一
水仙秋菊並幽姿 水仙(すいせん) 秋菊(しゅうぎく) 幽姿(ゆうし)を並ぶ
挿向磁缾三両枝 挿(さ)して磁缾(じへい)に向(あ)り 三両枝(さんりょうし)
低亞小牕燈影畔 低亜(ていあ)す 小牕(しょうそう) 燈影(とうえい)の畔(はん)
玉人病起薄寒時 玉人(ぎょくじん) 病(やまい)より起(た)つ 薄寒(はくかん)の時(とき)
⊂訳⊃
水仙の花と秋菊の花を 奥ゆかしくならべる
磁器の花瓶にいけられた 二三本だ
病の床を離れたその人は うすら寒い秋の日に
小さな窓 灯火のそばで 身をかがめている
⊂ものがたり⊃ 詩題の「内人」(ないじん)は家の者。妻や愛人をさす言葉です。ここでは有名な妓女であった柳如是(りゅうにょぜ)のことで、銭謙益が柳如是と暮らし始めたのは五十九歳のときでした。ときに柳如是は二十三歳です。同棲してしばらくたった六十歳代になってからの作品とみられています。
詩題から「玉人」(大切な人、美しい人)は灯火のそばで花瓶に花をいけています。それを窓越しにみながら絶句四首を作ったことがわかります。詩は後半二句から見ていく方がわかりやすく、「低亞」は前かがみのことです。小さな窓のむこう灯火のそばで、前かがみになっている姿が窓を通してみえます。それは病の床から離れた柳如是です。「薄寒時」(薄ら寒い日)といっているので、秋深いころでしょう。
窓を通してみえる情景がはじめの二句で、「水仙 秋菊 幽姿を並ぶ」とあるうち、水仙は春の花ですので柳如是のことでしょう。水仙には仙人という意味があり、仙女のように美しい柳如是にふさわしい表現です。その柳如是が菊の花を花瓶にいけています。「幽姿並ぶ」といっているのは、秋菊とおなじく柳如是も自分がわが家に活けた花であるといっていると解されます。
清5ー銭謙益
河間城外柳二首 其一 河間の城外の柳二首 其の一
日炙塵霾轍迹深 日炙(あぶ)り 塵霾(つちふ)りて 轍迹(てつせき)深し
馬嘶羊触有誰禁 馬嘶(いなな)き 羊触(ふ)るる 誰(たれ)有りてか禁ぜん
劇憐春雨江潭後 劇(はなは)だ憐れむ 春雨(しゅんう) 江潭(こうたん)の後(のち)
一曲清波半畝陰 一曲(いっきょく)の清波(せいは) 半畝(はんぽ)の陰(いん)
⊂訳⊃
照りつける日ざし 舞う砂埃 轍の跡も深く
馬が嘶き羊が柳にぶつかるが とめる者はいない
私は心を動かされる 春雨のあとの川の淀み
小さな柳の木の陰で 波が清らかに揺れたのに
⊂ものがたり⊃ 詩題の「河間城」(かかんじょう)は河北省河間県の城です。街はずれに柳の木があり、二首の詩をつくりました。制作時期は不明ですが、柳の木に自分の人生行路を重ねて詠っていますので、半年で清朝を辞して故郷に帰るときの詩かもしれません。詩中に「春雨」とあるので、晩春の暑い日でしょう。
冒頭の「日炙り 塵霾りて」は日がじりじりと照りつけ、黄砂の舞い降りる日であったことをしめしています。路には車の轍の跡が深く刻まれており、いらいらした感じの出だしです。二句目は柳の木の描写で、馬が嘶き、羊が柳の木にぶつかりますが、とめようとする者もいないと嘆きます。この句は清朝を辞する自分と周囲との関係を比喩したものと思われます。
後半二句はふと目にとめた自然の小さな動きの描写で、「劇だ憐れむ」、つまり深く心を動かされたとまずのべます。春雨が降ったあと、川の淀んだところに柳が小さな木陰をつくっています。そこに清らかなさざ波が立ちました。ここに詠われている心情は、悔しさとそれを乗り越えようとする心の深いところでの煌めきでしょう。
清6ー銭謙益
丙申春 就醫秦淮寓 丙申(へいしん)の春 医に秦淮に就き 丁
丁家水閣浹兩月臨行 家の水閣に寓すること両月に浹(あまね)し
作絶句三十首留別留 行くに臨んで絶句三十首を作り留別留題す
題 不復論次 其三 復た次を論ぜず 其の三
舞榭歌台羅綺叢 舞榭(ぶしゃ) 歌台(かだい) 羅綺(らき)の叢(そう)
都無人跡有春風 都(すべ)て人跡(じんせき)無くして春風(しゅんぷう)有り
踏青無限傷心事 踏青(とうせい) 限り無し 傷心の事
倂入南朝落炤中 併せて入(い)る 南朝(なんちょう) 落炤(らくしょう)の中(うち)
⊂訳⊃
歌舞音曲の舞台 着飾った美女たち
今は人の気配なく 春風だけが吹いている
春の野辺に遊べば 悲しみは限りない
南朝の都を照らす夕日のなかに 心は溶けて消えていく
⊂ものがたり⊃ 詩題の「丙申の春」は清の順治十三年(1656)、作者七十五歳の春です。題詞によると「病気の診療を受けるために南京の秦淮地区に行き、二か月あまり丁家の水辺の館に泊った。辞去するに当たって絶句三十首を作り、名ごり惜しい気持ちを書き止めて置き土産とした。作品の順序には拘らない」とあります。
其の三の詩は南朝の都建康をしのぶ気持ちに託して、明の滅亡を悼む思いをのべたものでしょう。前半二句は華やかだった都の跡も、いまは人影もなく春風が吹いているだけだと今昔の感を詠います。後半の「踏靑」は清明節の日におこなう野遊びのことです。野遊びにでてみたけれど、湧いてくるのは悲しい気持ちだけです。そしてその悲しみも古都を照らす夕陽のなかに溶けこんでいったと寂寥感のみなぎる結びになっています。(2016.8.6)
燈下看内人挿甁花 燈下に内人の瓶花を挿すを看て
戲題四絶句 其一 戲れに四絶句を題す 其の一
水仙秋菊並幽姿 水仙(すいせん) 秋菊(しゅうぎく) 幽姿(ゆうし)を並ぶ
挿向磁缾三両枝 挿(さ)して磁缾(じへい)に向(あ)り 三両枝(さんりょうし)
低亞小牕燈影畔 低亜(ていあ)す 小牕(しょうそう) 燈影(とうえい)の畔(はん)
玉人病起薄寒時 玉人(ぎょくじん) 病(やまい)より起(た)つ 薄寒(はくかん)の時(とき)
⊂訳⊃
水仙の花と秋菊の花を 奥ゆかしくならべる
磁器の花瓶にいけられた 二三本だ
病の床を離れたその人は うすら寒い秋の日に
小さな窓 灯火のそばで 身をかがめている
⊂ものがたり⊃ 詩題の「内人」(ないじん)は家の者。妻や愛人をさす言葉です。ここでは有名な妓女であった柳如是(りゅうにょぜ)のことで、銭謙益が柳如是と暮らし始めたのは五十九歳のときでした。ときに柳如是は二十三歳です。同棲してしばらくたった六十歳代になってからの作品とみられています。
詩題から「玉人」(大切な人、美しい人)は灯火のそばで花瓶に花をいけています。それを窓越しにみながら絶句四首を作ったことがわかります。詩は後半二句から見ていく方がわかりやすく、「低亞」は前かがみのことです。小さな窓のむこう灯火のそばで、前かがみになっている姿が窓を通してみえます。それは病の床から離れた柳如是です。「薄寒時」(薄ら寒い日)といっているので、秋深いころでしょう。
窓を通してみえる情景がはじめの二句で、「水仙 秋菊 幽姿を並ぶ」とあるうち、水仙は春の花ですので柳如是のことでしょう。水仙には仙人という意味があり、仙女のように美しい柳如是にふさわしい表現です。その柳如是が菊の花を花瓶にいけています。「幽姿並ぶ」といっているのは、秋菊とおなじく柳如是も自分がわが家に活けた花であるといっていると解されます。
清5ー銭謙益
河間城外柳二首 其一 河間の城外の柳二首 其の一
日炙塵霾轍迹深 日炙(あぶ)り 塵霾(つちふ)りて 轍迹(てつせき)深し
馬嘶羊触有誰禁 馬嘶(いなな)き 羊触(ふ)るる 誰(たれ)有りてか禁ぜん
劇憐春雨江潭後 劇(はなは)だ憐れむ 春雨(しゅんう) 江潭(こうたん)の後(のち)
一曲清波半畝陰 一曲(いっきょく)の清波(せいは) 半畝(はんぽ)の陰(いん)
⊂訳⊃
照りつける日ざし 舞う砂埃 轍の跡も深く
馬が嘶き羊が柳にぶつかるが とめる者はいない
私は心を動かされる 春雨のあとの川の淀み
小さな柳の木の陰で 波が清らかに揺れたのに
⊂ものがたり⊃ 詩題の「河間城」(かかんじょう)は河北省河間県の城です。街はずれに柳の木があり、二首の詩をつくりました。制作時期は不明ですが、柳の木に自分の人生行路を重ねて詠っていますので、半年で清朝を辞して故郷に帰るときの詩かもしれません。詩中に「春雨」とあるので、晩春の暑い日でしょう。
冒頭の「日炙り 塵霾りて」は日がじりじりと照りつけ、黄砂の舞い降りる日であったことをしめしています。路には車の轍の跡が深く刻まれており、いらいらした感じの出だしです。二句目は柳の木の描写で、馬が嘶き、羊が柳の木にぶつかりますが、とめようとする者もいないと嘆きます。この句は清朝を辞する自分と周囲との関係を比喩したものと思われます。
後半二句はふと目にとめた自然の小さな動きの描写で、「劇だ憐れむ」、つまり深く心を動かされたとまずのべます。春雨が降ったあと、川の淀んだところに柳が小さな木陰をつくっています。そこに清らかなさざ波が立ちました。ここに詠われている心情は、悔しさとそれを乗り越えようとする心の深いところでの煌めきでしょう。
清6ー銭謙益
丙申春 就醫秦淮寓 丙申(へいしん)の春 医に秦淮に就き 丁
丁家水閣浹兩月臨行 家の水閣に寓すること両月に浹(あまね)し
作絶句三十首留別留 行くに臨んで絶句三十首を作り留別留題す
題 不復論次 其三 復た次を論ぜず 其の三
舞榭歌台羅綺叢 舞榭(ぶしゃ) 歌台(かだい) 羅綺(らき)の叢(そう)
都無人跡有春風 都(すべ)て人跡(じんせき)無くして春風(しゅんぷう)有り
踏青無限傷心事 踏青(とうせい) 限り無し 傷心の事
倂入南朝落炤中 併せて入(い)る 南朝(なんちょう) 落炤(らくしょう)の中(うち)
⊂訳⊃
歌舞音曲の舞台 着飾った美女たち
今は人の気配なく 春風だけが吹いている
春の野辺に遊べば 悲しみは限りない
南朝の都を照らす夕日のなかに 心は溶けて消えていく
⊂ものがたり⊃ 詩題の「丙申の春」は清の順治十三年(1656)、作者七十五歳の春です。題詞によると「病気の診療を受けるために南京の秦淮地区に行き、二か月あまり丁家の水辺の館に泊った。辞去するに当たって絶句三十首を作り、名ごり惜しい気持ちを書き止めて置き土産とした。作品の順序には拘らない」とあります。
其の三の詩は南朝の都建康をしのぶ気持ちに託して、明の滅亡を悼む思いをのべたものでしょう。前半二句は華やかだった都の跡も、いまは人影もなく春風が吹いているだけだと今昔の感を詠います。後半の「踏靑」は清明節の日におこなう野遊びのことです。野遊びにでてみたけれど、湧いてくるのは悲しい気持ちだけです。そしてその悲しみも古都を照らす夕陽のなかに溶けこんでいったと寂寥感のみなぎる結びになっています。(2016.8.6)