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ティェンタオの自由訳漢詩 明ー鐘惺

 明40ー鐘惺
   答彦先雨夜見柬二首     彦先の 雨夜 柬せらるるに答う 二首    
   其一               其の一

  蕭然形影自為雙   蕭然(しょうぜん)として  形影(けいえい)  自(おのず)から双(そう)を為(な)す
  旅況郷心久客降   旅況(りょきょう)  郷心(きょうしん)   久客(きゅうかく)降(くだ)る
  歴尽厳霜如落葉   厳霜(げんそう)を歴尽(れきじん)して  落葉(らくよう)の如く
  聴多寒雨只疎窓   寒雨(かんう)を聴(き)くこと多くして   只(た)だ疎窓(そそう)

  ⊂訳⊃ 
          うらぶれた姿で       私と私の影が並んでいる

          旅の境遇 望郷の思い  旅人の心も落ちつく

          冷たい霜にうたれて    落ち葉のようにしおれ

          氷雨の音を聴きながら  窓辺に寄り添うばかりです


 ⊂ものがたり⊃ 公安派につづく竟陵派は公安派の平俗を批判して、より深刻な境地を求めました。平俗を批判して新奇で晦渋な表現にむかい、高踏的な詩風に陥ります。個性派の個性回帰が社会の現実からの逃避という側面を持っていたことと通底する現象でしょう。この派の詩風を代表する鍾惺(しょうせい)と潭元春がともに竟陵(きょうりょう)の出身であったことから竟陵派と称されます。
 鍾惺(1572―1624)は竟陵(湖北省天門市)の人。神宗即位の隆慶六年(1572)に生まれ、万暦年間の進士です。官は福建提学僉事に至ります。古文辞派の詩に反対して、個性の発揮を主張。公安派と歩調を同じくしましたが、公安派が平俗に流れたのにあき足らず、深さと独創性を追求して竟陵派と称されます。熹宗の天啓四年(1624)に亡くなり、享年五十三歳です。
 詩題の「彦先」(げんせん)は友人の名です。「柬」(かん)は書簡のことですが、ここでは動詞として用いられており、雨の夜、彦先の手紙に答える詩です。起句の「形影」は自分の体とその影、淋しくうらぶれた姿です。承句の「久客降る」の降は心が落ちつくこと。久しく旅にある自分の心が落ちついたと、手紙をくれた彦先に感謝するのです。転句と結句はそれまでの状態をさらに詳しくのべるもので、「歴尽」は経験しつくすこと。「寒雨」(氷雨)の音だけを聴きながらひたすら窓辺に寄り添っていたが、あなたの手紙によって慰められたと礼をのべるのです。

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