明31ー王世貞
避暑山園 暑を山園に避く
残杯移傍水辺亭 残杯(ざんぱい) 移し傍(そ)う 水辺(すいへん)の亭(てい)
暑気衝人忽自醒 暑気(しょき) 人を衝(つ)いて 忽ち自(おのず)から醒(さ)む
最喜樹頭風定後 最も喜ぶ 樹頭(じゅとう) 風(かぜ)定(さだ)まるの後(のち)
半池零雨半池星 半池(はんち)の零雨(れいう) 半池の星
⊂訳⊃
飲みかけの杯を持って 池のほとりの亭に移る
ひどい暑さだ 酔いもたちまち醒めてしまう
嬉しいのは 樹々の梢に夜風が吹いてはたとやみ
池の半分に雨雫が落ち もう半分に星影が映ること
⊂ものがたり⊃ 王世貞(おうせいてい:1526ー1590)は太倉(江蘇省太倉県)の人。世宗の嘉靖五年(1526)に生まれます。嘉靖二十六年(1546)、二十二歳で進士に及第し、山東副使、南京刑部尚書などを歴任します。李攀龍らとともに復古主義をとなえ、「文は必ず西漢(前漢)、詩は必ず盛唐。大暦以後の書は読む勿れ」と主張しました。
李攀龍の死後は文壇の中心として影響力がありましたが、晩年にはやや主張を修正し、白居易や蘇軾に学びます。平淡な境地に至って神宗の万暦十八年(1590)になくなりました。享年六十五歳です。
詩題の「山園」(さんえん)は山中の庭園のことです。山中の別荘に招かれたときの作品でしょう。はじめの二句で状況をのべます。「殘杯」は飲みかけの杯で、宴会の途中、杯をもったまま庭の池のほとりの亭へいったのでしょう。ひどい暑さで、酔いも醒めるほどです。
後半は亭での体験です。庭の木の梢に風がさっと吹いて止んだ直後、池の半分に梢の雨雫が散り、もう半分に星の光が映っていて、なんともいえない涼しさでした。センスのある詩句ですが、結びの「半池の零雨 半池の星」は白居易の「暮江吟」にある「半江は瑟瑟 半江は紅なり」の句を踏まえており、そこが古文辞派の本領といえます。
明32ー王世貞
暮秋村居即時 暮秋 村居即時
紫蟹黄鶏饞殺儂 紫蟹(しかい) 黄鶏(こうけい) 儂(われ)を饞殺(ざんさつ)す
酔来頭脳任冬烘 酔来(すいらい) 頭脳(ずのう) 冬烘(とうこう)に任(まか)す
農家別有農家語 農家には別に農家の語(ご)有り
不在詩書礼楽中 詩書 礼楽(れいがく)の中(うち)に在らず
⊂訳⊃
珍味の蟹や鶏が わしの食欲をそそる
酔うほどに 頭はぼんやりしてしまう
農家には 農家なりの語らいがあり
詩経や書経 礼楽にないものが存在する
⊂ものがたり⊃ 詩題の「即時」(そくじ)は即興の作という意味で、故郷に仮住まいしていた晩年の作でしょう。はじめに料理の名前が出てきます。「紫蟹」(赤茶色の蟹)と「黄鶏」(黄色の羽根のある鶏)は食欲をそそる食べ物であり、「饞殺」(食べ物をむさぼる)気持ちにさせます。「冬烘」は冬のかがり火のことですが、なんとなくほてる意味もあり、ここでは酔いで頭がぼんやりすることでしょう。「任」はそうなるのに任せるという意味で、役人の宴会と違って酔っぱらってもいい、ゆったりした気分で飲める会なのです。
農家でご馳走になっているらしく、後半二句は農民との交際についての感想です。「農家には別に農家の語有り」の「語」は語り合いのことで、農家には農家なりの語らいがあると官吏の世界とは違った会話があることを指摘します。「詩書礼楽」は「詩経」「書経」「礼楽」といった儒教の規範のことで、農家にはそんなものにはない人情味のある語らいがあるのを褒めるのです。(2016.7.8)
避暑山園 暑を山園に避く
残杯移傍水辺亭 残杯(ざんぱい) 移し傍(そ)う 水辺(すいへん)の亭(てい)
暑気衝人忽自醒 暑気(しょき) 人を衝(つ)いて 忽ち自(おのず)から醒(さ)む
最喜樹頭風定後 最も喜ぶ 樹頭(じゅとう) 風(かぜ)定(さだ)まるの後(のち)
半池零雨半池星 半池(はんち)の零雨(れいう) 半池の星
⊂訳⊃
飲みかけの杯を持って 池のほとりの亭に移る
ひどい暑さだ 酔いもたちまち醒めてしまう
嬉しいのは 樹々の梢に夜風が吹いてはたとやみ
池の半分に雨雫が落ち もう半分に星影が映ること
⊂ものがたり⊃ 王世貞(おうせいてい:1526ー1590)は太倉(江蘇省太倉県)の人。世宗の嘉靖五年(1526)に生まれます。嘉靖二十六年(1546)、二十二歳で進士に及第し、山東副使、南京刑部尚書などを歴任します。李攀龍らとともに復古主義をとなえ、「文は必ず西漢(前漢)、詩は必ず盛唐。大暦以後の書は読む勿れ」と主張しました。
李攀龍の死後は文壇の中心として影響力がありましたが、晩年にはやや主張を修正し、白居易や蘇軾に学びます。平淡な境地に至って神宗の万暦十八年(1590)になくなりました。享年六十五歳です。
詩題の「山園」(さんえん)は山中の庭園のことです。山中の別荘に招かれたときの作品でしょう。はじめの二句で状況をのべます。「殘杯」は飲みかけの杯で、宴会の途中、杯をもったまま庭の池のほとりの亭へいったのでしょう。ひどい暑さで、酔いも醒めるほどです。
後半は亭での体験です。庭の木の梢に風がさっと吹いて止んだ直後、池の半分に梢の雨雫が散り、もう半分に星の光が映っていて、なんともいえない涼しさでした。センスのある詩句ですが、結びの「半池の零雨 半池の星」は白居易の「暮江吟」にある「半江は瑟瑟 半江は紅なり」の句を踏まえており、そこが古文辞派の本領といえます。
明32ー王世貞
暮秋村居即時 暮秋 村居即時
紫蟹黄鶏饞殺儂 紫蟹(しかい) 黄鶏(こうけい) 儂(われ)を饞殺(ざんさつ)す
酔来頭脳任冬烘 酔来(すいらい) 頭脳(ずのう) 冬烘(とうこう)に任(まか)す
農家別有農家語 農家には別に農家の語(ご)有り
不在詩書礼楽中 詩書 礼楽(れいがく)の中(うち)に在らず
⊂訳⊃
珍味の蟹や鶏が わしの食欲をそそる
酔うほどに 頭はぼんやりしてしまう
農家には 農家なりの語らいがあり
詩経や書経 礼楽にないものが存在する
⊂ものがたり⊃ 詩題の「即時」(そくじ)は即興の作という意味で、故郷に仮住まいしていた晩年の作でしょう。はじめに料理の名前が出てきます。「紫蟹」(赤茶色の蟹)と「黄鶏」(黄色の羽根のある鶏)は食欲をそそる食べ物であり、「饞殺」(食べ物をむさぼる)気持ちにさせます。「冬烘」は冬のかがり火のことですが、なんとなくほてる意味もあり、ここでは酔いで頭がぼんやりすることでしょう。「任」はそうなるのに任せるという意味で、役人の宴会と違って酔っぱらってもいい、ゆったりした気分で飲める会なのです。
農家でご馳走になっているらしく、後半二句は農民との交際についての感想です。「農家には別に農家の語有り」の「語」は語り合いのことで、農家には農家なりの語らいがあると官吏の世界とは違った会話があることを指摘します。「詩書礼楽」は「詩経」「書経」「礼楽」といった儒教の規範のことで、農家にはそんなものにはない人情味のある語らいがあるのを褒めるのです。(2016.7.8)