明25ー文徴明
閑 興 閑 興
酒闌客散小堂空 酒(さけ)闌(つ)き 客(かく)散(さん)じて 小堂(しょうどう)空(むな)し
旋捲疎簾受晩風 旋(たちま)ち疎簾(それん)を捲(ま)いて 晩風(ばんぷう)を受く
坐久忽驚涼影動 坐(ざ)久しくして忽(たちま)ち驚く 涼影(りょうえい)の動くに
一痕新月在梧桐 一痕(いっこん)の新月(しんげつ) 梧桐(ごとう)に在り
⊂訳⊃
酒はなくなり 客は帰り 部屋には誰もいなくなる
廉を巻き上げ 夜風をいれる
じっと坐っていると 爽やかな光の揺れにおどろく
いま昇った新月が 桐の梢で光っていた
⊂ものがたり⊃ 文徴明(ぶんちょうめい:1470ー1559)は長洲(江蘇省蘇州市)の人。唐寅と同じ年に隣県(隣町に相当する)で生まれました。詩文書画にすぐれ、文人として重きをなします。世宗の嘉靖二年(1523)、五十四歳のとき、召されて翰林院待詔になりますが、三年で辞任して故郷にかえります。唐寅の死後、三十六年も長生きし、三十年以上にわたって呉中の詩壇の指導的立場にいました。世宗の嘉靖三十八年(1559)になくなり、享年九十歳でした。
詩題の「閑興」(かんきょう)は静かなしんみりした感興という意味です。宴会が終わったあとの静かな思い、そのときふと遭遇した小さな光、自然との交流に心を動かすのです。はじめの二句で夜の宴会が終わったあとの寛いだ気分を詠います。夜風を部屋にいれながら、じっと坐って宴会の余韻を楽しんでいると、なにか爽やかな光の動くのが目にとまります。それはいま昇ったばかりの新月が「梧桐」(青桐の一種)の梢を明るく照らした光でした。
明26ー文徴明
太 湖 太 湖
島嶼縦横一鏡中 島嶼(とうしょ) 縦横(じゅうおう) 一鏡(いっきょう)の中(うち)
湿銀盤紫浸芙蓉 湿銀(しつぎん) 盤紫(ばんし) 芙蓉(ふよう)を浸(ひた)す
誰能胸貯三万頃 誰か能(よ)く 胸に三万頃(けい)を貯(たくわ)えん
我欲身遊七十峰 我れ身(みずか)ら七十峰(しちじっぽう)に遊ばんと欲す
天遠洪濤翻日月 天遠くして 洪濤(こうとう) 日月(じつげつ)を翻(ひるがえ)し
春寒沢国隠魚龍 春寒くして 沢国(たくこく) 魚龍(ぎょりゅう)を隠(かく)す
中流彷彿聞鶏犬 中流 彷彿(ほうふつ)として鶏犬(けいけん)を聞く
何処堪追范蠡蹤 何(いず)れの処か 范蠡(はんれい)の蹤(あと)を追うに堪(た)えんや
⊂訳⊃
多くの島が 鏡のような太湖に浮かんでいる
銀色の月影 赤茶色の岸が蓮の花と溶けあう
広大な湖の夜景を 心の糧とできるのは誰か
私は七十の島々を 自分で歩こうと思っている
空は果てしなく広がり 波は日月を弄ぶかのようだ
春はまだ肌寒く 魚類は湖の底に潜んでいる
湖上であたかも 鶏犬の声を聞いたような気がした
范蠡の後を慕って 私は何処へむかったらいいのか
⊂ものがたり⊃ 詩題の「太湖」(たいこ)は蘇州の西にある湖です。太湖のほとりで宴会があり、夜の舟遊びのあと披露した作品と思われます。固い語彙、引き締まった表現の七言律詩で、まず首聯の二句で月明りに照らされた太湖の眺めを詠います。「湿銀」は湖面に映った月の光のことで、潤んだ銀色です。「盤紫」の紫は赤茶色をいい、湖をめぐる岸辺の色です。それが岸辺につらなる「芙蓉」(蓮の花)と溶け合ってみえ、仄かな夜景です。
頷聯では作者の志がのべられます。「三万頃」の頃は広さの単位で、太湖が広いことをいいます。誰がこの広い太湖の夜景を心の糧とすることができるだろうかと問い、つづく句でそれは自分だというのです。頚聯は遠景からはじまり、「洪濤 日月を翻し」と波の激しいことをいいます。時代の荒波を比喩しているのかもしれません。「沢国」は稔り豊かな国のことですが、ここでは太湖のことです。湖底に深く「魚龍」(魚類)を隠しているというのは、人材を蔵していることの比喩とも受けとれます。
尾聯の「鶏犬を聞く」は『老子』にある古代の理想的な邑のことで、隠者にふさわしい世界でもあります。湖の「中流」で湧いてきた感想であり、太湖を隠者の棲むのにふさわしい場所というのでしょう。そして「何れの処か 范蠡の蹤を追うに堪えんや」と結びます。「范蠡」は春秋時代、越王勾踐の重臣として対呉戦争を勝利に導きました。そのあと越を辞して太湖のほとりに住んだという伝えもあり、范蠡の蹤を追うというのは隠者になるという意味になります。聞き入る人々に隠者を慕うポーズをしめしたのでしょう。(2016.6.30)
閑 興 閑 興
酒闌客散小堂空 酒(さけ)闌(つ)き 客(かく)散(さん)じて 小堂(しょうどう)空(むな)し
旋捲疎簾受晩風 旋(たちま)ち疎簾(それん)を捲(ま)いて 晩風(ばんぷう)を受く
坐久忽驚涼影動 坐(ざ)久しくして忽(たちま)ち驚く 涼影(りょうえい)の動くに
一痕新月在梧桐 一痕(いっこん)の新月(しんげつ) 梧桐(ごとう)に在り
⊂訳⊃
酒はなくなり 客は帰り 部屋には誰もいなくなる
廉を巻き上げ 夜風をいれる
じっと坐っていると 爽やかな光の揺れにおどろく
いま昇った新月が 桐の梢で光っていた
⊂ものがたり⊃ 文徴明(ぶんちょうめい:1470ー1559)は長洲(江蘇省蘇州市)の人。唐寅と同じ年に隣県(隣町に相当する)で生まれました。詩文書画にすぐれ、文人として重きをなします。世宗の嘉靖二年(1523)、五十四歳のとき、召されて翰林院待詔になりますが、三年で辞任して故郷にかえります。唐寅の死後、三十六年も長生きし、三十年以上にわたって呉中の詩壇の指導的立場にいました。世宗の嘉靖三十八年(1559)になくなり、享年九十歳でした。
詩題の「閑興」(かんきょう)は静かなしんみりした感興という意味です。宴会が終わったあとの静かな思い、そのときふと遭遇した小さな光、自然との交流に心を動かすのです。はじめの二句で夜の宴会が終わったあとの寛いだ気分を詠います。夜風を部屋にいれながら、じっと坐って宴会の余韻を楽しんでいると、なにか爽やかな光の動くのが目にとまります。それはいま昇ったばかりの新月が「梧桐」(青桐の一種)の梢を明るく照らした光でした。
明26ー文徴明
太 湖 太 湖
島嶼縦横一鏡中 島嶼(とうしょ) 縦横(じゅうおう) 一鏡(いっきょう)の中(うち)
湿銀盤紫浸芙蓉 湿銀(しつぎん) 盤紫(ばんし) 芙蓉(ふよう)を浸(ひた)す
誰能胸貯三万頃 誰か能(よ)く 胸に三万頃(けい)を貯(たくわ)えん
我欲身遊七十峰 我れ身(みずか)ら七十峰(しちじっぽう)に遊ばんと欲す
天遠洪濤翻日月 天遠くして 洪濤(こうとう) 日月(じつげつ)を翻(ひるがえ)し
春寒沢国隠魚龍 春寒くして 沢国(たくこく) 魚龍(ぎょりゅう)を隠(かく)す
中流彷彿聞鶏犬 中流 彷彿(ほうふつ)として鶏犬(けいけん)を聞く
何処堪追范蠡蹤 何(いず)れの処か 范蠡(はんれい)の蹤(あと)を追うに堪(た)えんや
⊂訳⊃
多くの島が 鏡のような太湖に浮かんでいる
銀色の月影 赤茶色の岸が蓮の花と溶けあう
広大な湖の夜景を 心の糧とできるのは誰か
私は七十の島々を 自分で歩こうと思っている
空は果てしなく広がり 波は日月を弄ぶかのようだ
春はまだ肌寒く 魚類は湖の底に潜んでいる
湖上であたかも 鶏犬の声を聞いたような気がした
范蠡の後を慕って 私は何処へむかったらいいのか
⊂ものがたり⊃ 詩題の「太湖」(たいこ)は蘇州の西にある湖です。太湖のほとりで宴会があり、夜の舟遊びのあと披露した作品と思われます。固い語彙、引き締まった表現の七言律詩で、まず首聯の二句で月明りに照らされた太湖の眺めを詠います。「湿銀」は湖面に映った月の光のことで、潤んだ銀色です。「盤紫」の紫は赤茶色をいい、湖をめぐる岸辺の色です。それが岸辺につらなる「芙蓉」(蓮の花)と溶け合ってみえ、仄かな夜景です。
頷聯では作者の志がのべられます。「三万頃」の頃は広さの単位で、太湖が広いことをいいます。誰がこの広い太湖の夜景を心の糧とすることができるだろうかと問い、つづく句でそれは自分だというのです。頚聯は遠景からはじまり、「洪濤 日月を翻し」と波の激しいことをいいます。時代の荒波を比喩しているのかもしれません。「沢国」は稔り豊かな国のことですが、ここでは太湖のことです。湖底に深く「魚龍」(魚類)を隠しているというのは、人材を蔵していることの比喩とも受けとれます。
尾聯の「鶏犬を聞く」は『老子』にある古代の理想的な邑のことで、隠者にふさわしい世界でもあります。湖の「中流」で湧いてきた感想であり、太湖を隠者の棲むのにふさわしい場所というのでしょう。そして「何れの処か 范蠡の蹤を追うに堪えんや」と結びます。「范蠡」は春秋時代、越王勾踐の重臣として対呉戦争を勝利に導きました。そのあと越を辞して太湖のほとりに住んだという伝えもあり、范蠡の蹤を追うというのは隠者になるという意味になります。聞き入る人々に隠者を慕うポーズをしめしたのでしょう。(2016.6.30)