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ティェンタオの自由訳漢詩 明ー唐寅

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 明23ー唐寅
     散 歩               散   歩

  呉王城裏柳成畦   呉王(ごおう)の城裏(じょうり)  柳  畦(あぜ)を成(な)し
  斉女門前水拍堤   斉女(せいじょ)の門前(もんぜん)   水  堤を拍(う)つ
  売酒当壚人裊娜   売酒(ばいしゅ)  当壚(とうろ)  人  裊娜(じょうだ)
  落花流水路東西   落花(らくか)   流水(りゅうすい)  路  東西
  平頭衣襪和鞋試   平頭(へいとう)の衣襪(いべつ)    鞋(くつ)に和して試み
  弄舌鉤輈繞樹啼   弄舌(ろうぜつ)の鉤輈(こうちゅう)   樹を繞(めぐ)って啼く
  此是吾生行楽処   此れは是(こ)れ  吾(わ)が生(せい)  行楽(こうらく)の処(ところ)
  若為詩句不留題   若為(いかで)か詩句もて  題を留(とど)めざる

  ⊂訳⊃
          ここは呉王の都の跡  柳並木がつらなり
          斉女の家の門前には  水が岸辺を洗っている
          酒を売る声  一杯飲み屋  看板娘はたおやかで
          散る花びら  水の流れ   路は東西にのびている
          普段着に足袋をはき  藁靴で出かけてみると
          おしゃべりの鷓鴣が  樹のまわりで鳴いている
          この街こそが   人生を楽しく過ごせる場所
          どうして詩句を  書きのこさずにいられよう


 ⊂ものがたり⊃ 茶陵派というも古文辞派(擬古派)というも、それらは北京の朝廷に仕える官僚知識人の詩です。前七子と同時代に江南では在野の文人による詩がつくりつづけられていました。その代表的な詩人は唐寅(とういん)と文徴明です。ふたりは同じ年に蘇州城内の隣り合った県で生まれ、故郷を活躍の場としました。
 唐寅(1470―1523)は呉県(江蘇省蘇州市)の人。憲宗の成化六年(1470)に裕福な商家に生まれ、十代から才能を発揮します。十九歳で妻を娶りますが、二十代の前半に父母と妻をなくすという不幸にあいます。孝宗の弘治十一年(1498)、二十九歳のときに郷試の解元(首席)になりますが、試験問題の漏洩事件があり、かかわりを疑われて入牢します。郷試及第の資格も剥奪され、以後、文人として詩文書画に専念して生涯をすごしました。世宗の嘉靖二年(1523)になくなり、享年五十四歳です。
 詩題の「散歩」はいかにも在野的な題です。故郷の街を散策しながら見聞したことを詠い、蘇州讃美の詩です。はじめの二句で古都蘇州の由緒をかたります。「呉王」は春秋呉の王、呉王夫差が有名です。「斉女」は斉の国からきた女性で、春秋時代に呉が斉を破ったとき人質として若い娘が送られてきました。その斉女のために建てられた家の門前では川の波が岸辺を洗っていると、蘇州が古くから栄えた街であることを詠います。
 中四句のはじめ二句は散歩途中のスケッチです。「売酒」は酒の呼び売り、「当壚」は酒甕をおく板築の台のことで、酒屋を意味します。「裊娜」は若くてしなやかな女性の形容で、飲み屋の看板娘のことでしょう。つぎの句は落花の季節です。水路と街路が碁盤目にとおる街筋を描きます。つぎの二句は自分の散歩姿とまわりのようすです。「平頭」は平らな頭巾のことで召し使いなどの服装を意味し、「襪」は足袋、「鞋」は藁靴で、目立たない身なりで出かけたのです。すると樹のまわりで「弄舌鉤輈」が鳴いている。「鉤輈」は鷓鴣(しゃこ)の鳴き声を形容する擬音で、いかにも楽しそうな散歩の描写です。
 最後の二句は結びで、この街こそが「吾が生 行楽の処」とのべ、「若爲か詩句もて 題を留めざる」と詠います。故郷の街への愛情があふれる詩です。

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