明19ー何景明
鰣 魚 鰣 魚
五月鰣魚已至燕 五月 鰣魚(じぎょ) 已(すで)に燕(えん)に至り
茘枝蘆橘未能先 茘枝(れいし) 蘆橘(ろきつ) 未(いま)だ能(よ)く先(さき)んぜず
賜鮮遍及中璫第 鮮(せん)を賜(たも)うて遍(あまね)く及ぶ 中璫(ちゅうとう)の第(てい)
薦熟応開寝廟筵 熟(じゅく)を薦(すす)めて応(まさ)に開くべし 寝廟(しんびょう)の筵(えん)
白日風塵馳駅騎 白日(はくじつ)の風塵(ふうじん)に駅騎(えきき)馳(は)せ
炎天冰雪護江船 炎天(えんてん)には氷雪(ひょうせつ)もて江船(こうせん)を護(まも)る
銀鱗細骨堪憐汝 銀鱗(ぎんりん) 細骨(さいこつ) 汝(なんじ)を憐(あわ)れむに堪(た)えたり
玉箸金盤敢望伝 玉箸(ぎょくちょ) 金盤(きんばん) 敢(あえ)て伝(つた)うるを望むとは
⊂訳⊃
夏五月になると 鰣魚は都についている
茘枝や金柑が それにつづく
新鮮な鰣魚は 宦官の邸に御下賜となるが
新米や初物同様 まずは霊廟に供えるべきだ
昼間の埃の中を 駅馬に積んではしり
日照りのときは 氷や雪で冷やし船ではこぶ
銀の鱗 細い骨 まことに可憐な魚であるのに
玉の箸と金盤が いまや遅しと待っている
⊂ものがたり⊃ 何景明(かけいめい:1483ー1521)は信陽(河南省信陽市)の人。憲宗の成化十九年(1482)に生まれ、孝宗の弘治十五年(1502)、二十歳で進士に及第します。李夢陽とならんで「李何」と併称されますが、のちに仲違いします。官は陝西提学副使にいたりますが、過労のために早逝しました。享年三十九歳です。
詩題の「鰣魚」は江南に産する珍味で、初夏を旬とする高級魚です。このころ宦官の専横が激しく、宦官の贅沢を風刺します。二句ひとまとまりですすむ七言律詩で、はじめの二句は五月にはすでに鰣魚が「燕」(北京)についており、同じ江南の特産である「茘枝」や「蘆橘(ろきつ)」(金柑)よりも一足先にとどきます。
つぎの二句では新鮮な鰣魚が「中璫の第」(宦官の邸)にとどけられます。「中璫」は冠の飾りに貂の尾と黄金の璫(耳珠)をつけていたことから宦官のことをいいます。そして、本来ならば「寝廟の筵」(先祖の霊廟)に「熟」(新米や初なりの果物)といっしょに真っ先に供えるべきものであるのだと批判します。
つぎの二句は江南から鰣魚を運んでくる苦労を描きます。生ものであるので駅馬を乗りついで急送し、氷や雪で囲って運河を船で運ぶのです。結びは鰣魚への同情の言葉です。「銀鱗細骨」、姿も美しく可憐な魚ですが、宦官たちは「玉箸金盤」をならべていまや遅しと待ち構えていると、宦官の無慈悲をなじる社会詩です。
明20ー何景明
秋日雑興 秋日雑興
柏林楓岸迥宜看 柏林(はくりん) 楓岸(ふうがん) 迥(はる)かにして看(み)るに宜(よろ)し
楊柳芙蓉不禁寒 楊柳(ようりゅう) 芙蓉(ふよう) 寒(かん)に禁(た)えず
最愛高楼好明月 最も愛す 高楼(こうろう)の好明月(こうめいげつ)
莫教長笛倚闌干 長笛(ちょうてき)をして闌干(らんかん)に倚(よ)らしむること莫(なか)れ
⊂訳⊃
柏の林と楓の岸辺は 遠くからの眺めがよい
楊柳と蓮の花もいいが 寒さに弱い
何よりも好きなのは 高楼にかかる丸い月
笛の上手なお隣さんに おでまし願う必要はない
⊂ものがたり⊃ 詩題の「雜興」(ざっきょう)は取りとめもなく胸にわく思いといった意味です。制昨年や詩作の背景は不明です。まず前半二句で遠景と近景、四つの植物をあげて好悪をのべます。柏と楓の林は遠景がよく、「看るに宜し」は承句にもかけて「楊柳」と「芙蓉」(蓮の花)もいいが、寒さに弱いと詠います。
後半の二句は感想で、自分がもっとも心惹かれるのは高楼のうえにかかる秋の月、「長笛をして闌干に倚らしむること莫れ」と詠います。当時「長笛隣家」という四字熟語があって、隣の家で吹く長笛の音色は昔を懐かしむ気持ちを誘いだすという意味に用いられていました。したがってここでは、高楼の月を眺めれば充分であり、昔を懐かしむ笛の音はいらないと、機転を効かせてみせたのです。擬古派の詩人たちも絶句をつくるときは主張にこだわらず個性的な詩をつくったようです。(2016.6.23)
鰣 魚 鰣 魚
五月鰣魚已至燕 五月 鰣魚(じぎょ) 已(すで)に燕(えん)に至り
茘枝蘆橘未能先 茘枝(れいし) 蘆橘(ろきつ) 未(いま)だ能(よ)く先(さき)んぜず
賜鮮遍及中璫第 鮮(せん)を賜(たも)うて遍(あまね)く及ぶ 中璫(ちゅうとう)の第(てい)
薦熟応開寝廟筵 熟(じゅく)を薦(すす)めて応(まさ)に開くべし 寝廟(しんびょう)の筵(えん)
白日風塵馳駅騎 白日(はくじつ)の風塵(ふうじん)に駅騎(えきき)馳(は)せ
炎天冰雪護江船 炎天(えんてん)には氷雪(ひょうせつ)もて江船(こうせん)を護(まも)る
銀鱗細骨堪憐汝 銀鱗(ぎんりん) 細骨(さいこつ) 汝(なんじ)を憐(あわ)れむに堪(た)えたり
玉箸金盤敢望伝 玉箸(ぎょくちょ) 金盤(きんばん) 敢(あえ)て伝(つた)うるを望むとは
⊂訳⊃
夏五月になると 鰣魚は都についている
茘枝や金柑が それにつづく
新鮮な鰣魚は 宦官の邸に御下賜となるが
新米や初物同様 まずは霊廟に供えるべきだ
昼間の埃の中を 駅馬に積んではしり
日照りのときは 氷や雪で冷やし船ではこぶ
銀の鱗 細い骨 まことに可憐な魚であるのに
玉の箸と金盤が いまや遅しと待っている
⊂ものがたり⊃ 何景明(かけいめい:1483ー1521)は信陽(河南省信陽市)の人。憲宗の成化十九年(1482)に生まれ、孝宗の弘治十五年(1502)、二十歳で進士に及第します。李夢陽とならんで「李何」と併称されますが、のちに仲違いします。官は陝西提学副使にいたりますが、過労のために早逝しました。享年三十九歳です。
詩題の「鰣魚」は江南に産する珍味で、初夏を旬とする高級魚です。このころ宦官の専横が激しく、宦官の贅沢を風刺します。二句ひとまとまりですすむ七言律詩で、はじめの二句は五月にはすでに鰣魚が「燕」(北京)についており、同じ江南の特産である「茘枝」や「蘆橘(ろきつ)」(金柑)よりも一足先にとどきます。
つぎの二句では新鮮な鰣魚が「中璫の第」(宦官の邸)にとどけられます。「中璫」は冠の飾りに貂の尾と黄金の璫(耳珠)をつけていたことから宦官のことをいいます。そして、本来ならば「寝廟の筵」(先祖の霊廟)に「熟」(新米や初なりの果物)といっしょに真っ先に供えるべきものであるのだと批判します。
つぎの二句は江南から鰣魚を運んでくる苦労を描きます。生ものであるので駅馬を乗りついで急送し、氷や雪で囲って運河を船で運ぶのです。結びは鰣魚への同情の言葉です。「銀鱗細骨」、姿も美しく可憐な魚ですが、宦官たちは「玉箸金盤」をならべていまや遅しと待ち構えていると、宦官の無慈悲をなじる社会詩です。
明20ー何景明
秋日雑興 秋日雑興
柏林楓岸迥宜看 柏林(はくりん) 楓岸(ふうがん) 迥(はる)かにして看(み)るに宜(よろ)し
楊柳芙蓉不禁寒 楊柳(ようりゅう) 芙蓉(ふよう) 寒(かん)に禁(た)えず
最愛高楼好明月 最も愛す 高楼(こうろう)の好明月(こうめいげつ)
莫教長笛倚闌干 長笛(ちょうてき)をして闌干(らんかん)に倚(よ)らしむること莫(なか)れ
⊂訳⊃
柏の林と楓の岸辺は 遠くからの眺めがよい
楊柳と蓮の花もいいが 寒さに弱い
何よりも好きなのは 高楼にかかる丸い月
笛の上手なお隣さんに おでまし願う必要はない
⊂ものがたり⊃ 詩題の「雜興」(ざっきょう)は取りとめもなく胸にわく思いといった意味です。制昨年や詩作の背景は不明です。まず前半二句で遠景と近景、四つの植物をあげて好悪をのべます。柏と楓の林は遠景がよく、「看るに宜し」は承句にもかけて「楊柳」と「芙蓉」(蓮の花)もいいが、寒さに弱いと詠います。
後半の二句は感想で、自分がもっとも心惹かれるのは高楼のうえにかかる秋の月、「長笛をして闌干に倚らしむること莫れ」と詠います。当時「長笛隣家」という四字熟語があって、隣の家で吹く長笛の音色は昔を懐かしむ気持ちを誘いだすという意味に用いられていました。したがってここでは、高楼の月を眺めれば充分であり、昔を懐かしむ笛の音はいらないと、機転を効かせてみせたのです。擬古派の詩人たちも絶句をつくるときは主張にこだわらず個性的な詩をつくったようです。(2016.6.23)