Quantcast
Channel: 漢詩を楽しもう
Viewing all articles
Browse latest Browse all 554

ティェンタオの自由訳漢詩 元ー馬祖常

$
0
0
 元9ー馬祖常
    河湟書事            河湟にて事を書す

  波斯老賈度流沙   波斯(はし)の老賈(ろうこ)  流沙(りゅうさ)を度(わた)る
  夜聴駝鈴認路賖   夜  駝鈴(だれい)を聴いて路(みち)の賖(はる)かなるを認む
  采玉河辺青石子   采玉(さいぎょく)河辺(かへん)の青石子(せいせきし)
  収来東国易桑麻   収め来たって東国に桑麻(そうま)と易(か)ゆ

  ⊂訳⊃
          ペルシャの老いた商人が  砂漠を越えてやってくる

          夜中に鈴の音を聞くと    遥かな旅路がしのばれる

          河岸で採れた青石子  宝玉を買いあつめ

          絹や麻と換えようと   東の国へやってきた


 ⊂ものがたり⊃ 元代に科挙は原則廃止されましたが、第四代仁宗のときに再開され、以後八回ほど行われます。科挙である以上、高級官僚を採用するための試験ですが、定期的に行われたのではありません。採用者も少数で、モンゴル人優先です。馬祖常(ばそじょう)は元代初の科挙及第者のひとりで、漢民族の詩文に通じるモンゴル人が現れたことをしめしています。
 馬祖常(1279ー1338)は光州(河南省潢川県)の人。モンゴル部雍古部族の出身で、父の代に光州に移り住みました。仁宗の延祐二年(1315)、三十七歳のときに郷貢と会試を第一席で及第、廷試を第二席で及第して監察御史になります。累進して礼部尚書に至り、順帝の至元四年(1338)になくなります。享年六十歳です。
 詩題の「河湟」(かこう)は青海省と甘粛省の境、黄河と湟水の合流するあたりをいい、西域交通の要路でした。「事を書す」とあるので、そこで見たものを詠ったものです。「波斯」(ペルシャ)の商人が砂漠をわたって交易にきます。夜中に「駝鈴」(駱駝につけた鈴)の音を聞いていると、遥かな旅路が偲ばれます。後半は交易の内容をいうもので、「青石子」は青い宝玉。ペルシャの商人は宝石を買い集めて「東国」(中国)の「桑麻」(絹や麻)と交換すると詠います。宝石が流入し、衣類の原料が出ていくのを憂えるのでしょう。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 554

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>