初唐21ー劉希夷
代悲白頭翁 白頭を悲しむ翁に代る (中?八句)
此翁白頭真可憐 此の翁(おう) 白頭(はくとう) 真(まこと)に憐れむ可し
伊昔紅顔美少年 伊(こ)れ昔 紅顔の美少年
公子王孫芳樹下 公子王孫 芳樹(ほうじゅ)の下(もと)
清歌妙舞落花前 清歌妙舞 落花(らっか)の前
光禄池台開錦繡 光禄(こうろく)の池台 錦繡(きんしゅう)を開き
将軍楼閣画神仙 将軍の楼閣(ろうかく) 神仙(しんせん)を画(えが)く
一朝臥病無相識 一朝(いっちょう) 病に臥(ふ)して相識(そうしき)無く
三春行楽在誰辺 三春の行楽(こうらく) 誰が辺(へん)にか在る
⊂訳⊃
白髪頭の老人こそ まことに哀れ
だがこれでも昔は 紅顔の美少年
公子王孫の若者だ 美しい木蔭 落花の中で
清らかに舞い歌う 青春の時もあったのだ
光禄大夫の邸宅は 池台に錦繡の華やかさ
大将軍の楼閣には 神仙の像が描かれていた
だが一たび病に臥すと 訪ねてくる友はなく
春の行楽の日は消えて どこにいったかわからない
⊂ものがたり⊃ 中?の八句は白頭翁の人生の紹介です。まず、この白髪の老人も昔は「紅顔の美少年」であったと詠います。「公子王孫」は裕福な家柄、名門の若者を示す決まり文句で、華やかな青春時代を送ったのだと言います。
「光禄」は光禄勲のことで、漢の外戚光禄勲王根(おうこん)は邸内の池に台を築き、豪華な建物を建てたと言われています。「将軍」は後漢の大将軍梁冀(りょうき)のことで、皇后の兄、広大な邸宅を建て、その壁に神仙の絵を描かせて贅美を尽くしたと言います。
そうした貴門に出入りしていた自分も、ある日突然病の床に臥してからというもの、知人たちも訪ねて来なくなり、「三春」(春の三か月)の行楽も無縁なものになった歎きます。
代悲白頭翁 白頭を悲しむ翁に代る (中?八句)
此翁白頭真可憐 此の翁(おう) 白頭(はくとう) 真(まこと)に憐れむ可し
伊昔紅顔美少年 伊(こ)れ昔 紅顔の美少年
公子王孫芳樹下 公子王孫 芳樹(ほうじゅ)の下(もと)
清歌妙舞落花前 清歌妙舞 落花(らっか)の前
光禄池台開錦繡 光禄(こうろく)の池台 錦繡(きんしゅう)を開き
将軍楼閣画神仙 将軍の楼閣(ろうかく) 神仙(しんせん)を画(えが)く
一朝臥病無相識 一朝(いっちょう) 病に臥(ふ)して相識(そうしき)無く
三春行楽在誰辺 三春の行楽(こうらく) 誰が辺(へん)にか在る
⊂訳⊃
白髪頭の老人こそ まことに哀れ
だがこれでも昔は 紅顔の美少年
公子王孫の若者だ 美しい木蔭 落花の中で
清らかに舞い歌う 青春の時もあったのだ
光禄大夫の邸宅は 池台に錦繡の華やかさ
大将軍の楼閣には 神仙の像が描かれていた
だが一たび病に臥すと 訪ねてくる友はなく
春の行楽の日は消えて どこにいったかわからない
⊂ものがたり⊃ 中?の八句は白頭翁の人生の紹介です。まず、この白髪の老人も昔は「紅顔の美少年」であったと詠います。「公子王孫」は裕福な家柄、名門の若者を示す決まり文句で、華やかな青春時代を送ったのだと言います。
「光禄」は光禄勲のことで、漢の外戚光禄勲王根(おうこん)は邸内の池に台を築き、豪華な建物を建てたと言われています。「将軍」は後漢の大将軍梁冀(りょうき)のことで、皇后の兄、広大な邸宅を建て、その壁に神仙の絵を描かせて贅美を尽くしたと言います。
そうした貴門に出入りしていた自分も、ある日突然病の床に臥してからというもの、知人たちも訪ねて来なくなり、「三春」(春の三か月)の行楽も無縁なものになった歎きます。