南宋49ー呉文英
風入松 風入松
聴風聴雨過清明 風を聴き雨を聴いて清明(せいめい)を過(おく)り
愁草痤花銘 愁いつつ草(そう)す 花を痤(うず)むる銘(めい)
楼前緑暗分攜路 楼前(ろうぜん) 緑は暗(くら)し 分攜(ぶんけい)の路(みち)
一糸柳 一寸柔情 一糸(ひとすじ)の柳 一寸(いっすん)の柔情(じゅうじょう)
料峭春寒中酒 料峭(りょうしょう)たる春寒(しゅんかん) 酒に中(あた)り
交加暁夢啼鶯 交々(こもごも)加う 暁夢(ぎょうむ)の啼鶯(ていおう)
西園日日掃林亭 西園(せいえん) 日日(ひび)に林亭(りんてい)を掃(はら)い
依旧賞新晴 旧(きゅう)に依(よ)って新晴(しんせい)を賞す
黄蜂頻撲鞦韆索 黄蜂(こうほう) 頻(しき)りに撲(う)つ 鞦韆(しゅうせん)の索(つな)
有当時纎手香凝 当時の纎手(せんしゅ)の香(にお)いの凝(こ)りし有らん
惆悵双鴛不到 惆悵(ちゅうちょう)す 双鴛(そうえん)の到らずして
幽階一夜苔生 幽階(ゆうかい) 一夜(いちや)にして苔(こけ)の生ぜしを
⊂訳⊃
風の音 雨の音を聞きながら清明節をおくり
愁いに沈みつつ 花をとむらう銘文を書く
別れを惜しんだ 楼前の道に緑濃く
ひとすじの柳に 一寸の恋の思いがこもっている
春なお肌寒く 二日酔いものこり
明け方の夢に 鶯の鳴く音がまぎれこむ
あの日から 西園の東屋を日ごとに掃き
昔のように 雨あがりの眺めをめでる
黄色い蜂が 鞦韆の綱をつついているが
あのときの 指の匂いがついているのであろうか
嘆かわしいのは 小さな靴がこなくなって
一夜のうちに 苔が階をおおったことだ
⊂ものがたり⊃ 詞題の「風入松」(ふうにゅうしょう)は松に吹きいる風という意味です。上片の二句目に「花を痤むる銘」とありますが、死者のために書く銘文ではなく、別れた女性をしのぶ歌の意味でしょう。詞は二句ずつ区切って展開し、はじめの二句は序です。清明節のころは晴れた日の多い季節ですが、風雨の音を聞きながらこの詞を書いたといいます。
つぎの二句は女性と別れた場所とそのときの切ない思いでしょう。上片のおわり二句は現在のことで、清明節過ぎなのに肌寒く、二日酔いののこる朝、明け方の夢に鶯の鳴く音がでてくるといった侘びしさです。
下片は上片より少しあとのことでしょう。かつての恋の日々を懐かしむ思いにみちています。自宅の西園の「林亭」(林のなかのあずまや)は思い出の場所でしょう。そこを綺麗にして、昔のように雨あがりの景色を眺めます。つぎの二句は蜂が「鞦韆」(ぶらんこ)の索をしきりにつついていますが、女性が鞦韆を漕いだときの指の匂いがのこっているのだろうかと、優艷な想像をします。
結びの二句の「双鴛」はつがいの鴛鴦(おしどり)のことですが、纏足した女性の小さな靴跡の意味があります。つまり女性がこなくなったので、「幽階」(奥まったきざはし)を苔が一夜のうちにおおいつくしてしまったと嘆くのです。
風入松 風入松
聴風聴雨過清明 風を聴き雨を聴いて清明(せいめい)を過(おく)り
愁草痤花銘 愁いつつ草(そう)す 花を痤(うず)むる銘(めい)
楼前緑暗分攜路 楼前(ろうぜん) 緑は暗(くら)し 分攜(ぶんけい)の路(みち)
一糸柳 一寸柔情 一糸(ひとすじ)の柳 一寸(いっすん)の柔情(じゅうじょう)
料峭春寒中酒 料峭(りょうしょう)たる春寒(しゅんかん) 酒に中(あた)り
交加暁夢啼鶯 交々(こもごも)加う 暁夢(ぎょうむ)の啼鶯(ていおう)
西園日日掃林亭 西園(せいえん) 日日(ひび)に林亭(りんてい)を掃(はら)い
依旧賞新晴 旧(きゅう)に依(よ)って新晴(しんせい)を賞す
黄蜂頻撲鞦韆索 黄蜂(こうほう) 頻(しき)りに撲(う)つ 鞦韆(しゅうせん)の索(つな)
有当時纎手香凝 当時の纎手(せんしゅ)の香(にお)いの凝(こ)りし有らん
惆悵双鴛不到 惆悵(ちゅうちょう)す 双鴛(そうえん)の到らずして
幽階一夜苔生 幽階(ゆうかい) 一夜(いちや)にして苔(こけ)の生ぜしを
⊂訳⊃
風の音 雨の音を聞きながら清明節をおくり
愁いに沈みつつ 花をとむらう銘文を書く
別れを惜しんだ 楼前の道に緑濃く
ひとすじの柳に 一寸の恋の思いがこもっている
春なお肌寒く 二日酔いものこり
明け方の夢に 鶯の鳴く音がまぎれこむ
あの日から 西園の東屋を日ごとに掃き
昔のように 雨あがりの眺めをめでる
黄色い蜂が 鞦韆の綱をつついているが
あのときの 指の匂いがついているのであろうか
嘆かわしいのは 小さな靴がこなくなって
一夜のうちに 苔が階をおおったことだ
⊂ものがたり⊃ 詞題の「風入松」(ふうにゅうしょう)は松に吹きいる風という意味です。上片の二句目に「花を痤むる銘」とありますが、死者のために書く銘文ではなく、別れた女性をしのぶ歌の意味でしょう。詞は二句ずつ区切って展開し、はじめの二句は序です。清明節のころは晴れた日の多い季節ですが、風雨の音を聞きながらこの詞を書いたといいます。
つぎの二句は女性と別れた場所とそのときの切ない思いでしょう。上片のおわり二句は現在のことで、清明節過ぎなのに肌寒く、二日酔いののこる朝、明け方の夢に鶯の鳴く音がでてくるといった侘びしさです。
下片は上片より少しあとのことでしょう。かつての恋の日々を懐かしむ思いにみちています。自宅の西園の「林亭」(林のなかのあずまや)は思い出の場所でしょう。そこを綺麗にして、昔のように雨あがりの景色を眺めます。つぎの二句は蜂が「鞦韆」(ぶらんこ)の索をしきりにつついていますが、女性が鞦韆を漕いだときの指の匂いがのこっているのだろうかと、優艷な想像をします。
結びの二句の「双鴛」はつがいの鴛鴦(おしどり)のことですが、纏足した女性の小さな靴跡の意味があります。つまり女性がこなくなったので、「幽階」(奥まったきざはし)を苔が一夜のうちにおおいつくしてしまったと嘆くのです。