南宋48ー呉文英
唐多令 唐多令
何処合成愁 何(いず)れの処(ところ)か 合(まさ)に愁いを成すべき
離人心上秋 離人(りじん) 心上(しんじょう)の秋
縦芭蕉不雨他颸颸 縦(たと)い 芭蕉(ばしょう) 雨ふらずとも 他(ま)た颸颸(しゅうしゅう)
都道晩凉天気好 都(みな) 晩凉(ばんりょう) 天気好しと道(い)うも
有名月 怕登楼 名月(めいげつ)有れば 楼(ろう)に登るを怕(おそ)る
年事夢中休 年事(ねんじ) 夢中(むちゅう)に休(や)む
花空煙水流 花(はな)空しくして 煙水(えんすい)流る
燕辞帰 客尚淹留 燕(つばめ) 辞帰(じき)して 客 尚(な)お淹留(えんりゅう)
垂柳不縈裙帯住 垂柳(すいりゅう) 裙帯(くんたい)を縈(まと)い住(とど)まらず
漫長是 繋行舟 漫(みだ)りに長く是(こ)れ 行舟(こうしゅう)を繋(か)く
※ 三句目の「颸颸」(しし)は外字になるので変えています。
本来は「思」の部分が「叟」で「しゅうしゅう」と読みます。
⊂訳⊃
人が悲しい気持ちになるのは どんなときであろうか
旅する者が 心に秋を感じるとき
芭蕉の葉は 雨にうたれなくてもさわさわと鳴り
秋の夜は涼しくて 天気もいいというが
明月がでても 高楼に登るのはいやだ
過ぎ去った歳月の さまざまなことは夢と消え
花は散り果て 靄の中を流れる川のようだ
燕は帰っていくが 旅人の私はとどまっている
しだれ柳は あの人を引き止めてはくれず
いつまでも 私を舟に繋ぎ止めているだけだ
⊂ものがたり⊃ 宋詞のもうひとつの流れである詞については、劉克荘より十四歳ほど若い呉文英(ごぶんえい)がいます。呉文英(1200?ー1260?)は四明(浙江省寧波市)の人。憲宗の慶元六年(1200)ころに生まれ、南宋最後の詞人といわれています。
官職についたことはなく、権門富貴の家に出入りして作品を提供し、生活の資をえていたようです。残した作品の数は宋代随一といわれ、艷麗かつ優美な作風が南宋末期の有閑富裕の人々に好まれました。理宗の景定元年(1260)ころになくなり、享年六十歳くらいです。
詞題の「唐多令」(とうたれい)の令は歌という意味で、曲名を示します。二、三、二、三と区切りながら、全体として女性と別れて旅をつづける嘆き、悲しみを詠います。はじめの二句は導入の問いと答え、自問自答と考えることもできます。つぎの三句では「心上の秋」を具体的にしめします。
芭蕉の葉がさわさわと鳴る音にも心をうたれ、秋の夜は涼しく、晴れて気持ちがよいのですが、そんな夜に美しい月がでたといっても、月が女性を思い出させるので高楼に登るのはいやだといいます。「楼」は女性の家を連想させる語でもあります。
後半もさまざまな景をならべて、女性といっしょになれない悲しみを詠います。はじめ二句の「年事」は過ぎ去った年のいろいろな出来事。つまり恋の日々は夢のように消え去り、「花」(美しい出来事)は「煙水」(靄に包まれた流れ)のように捉らえどころがありません。
つづく三句、渡り鳥の燕は南へ帰っていくのに、「客」(旅人である私)はまだ旅をつづけています。しだれ柳は別れていく人の「裙帯」(裳裾と帯、女性の意味でもあります)にしがみついて引き止めるといいますが、あの人は引き止めてくれませんでした。柳はただいたずらに私の乗る舟を繋ぎ止めているだけだったと嘆きながら結びとします。
唐多令 唐多令
何処合成愁 何(いず)れの処(ところ)か 合(まさ)に愁いを成すべき
離人心上秋 離人(りじん) 心上(しんじょう)の秋
縦芭蕉不雨他颸颸 縦(たと)い 芭蕉(ばしょう) 雨ふらずとも 他(ま)た颸颸(しゅうしゅう)
都道晩凉天気好 都(みな) 晩凉(ばんりょう) 天気好しと道(い)うも
有名月 怕登楼 名月(めいげつ)有れば 楼(ろう)に登るを怕(おそ)る
年事夢中休 年事(ねんじ) 夢中(むちゅう)に休(や)む
花空煙水流 花(はな)空しくして 煙水(えんすい)流る
燕辞帰 客尚淹留 燕(つばめ) 辞帰(じき)して 客 尚(な)お淹留(えんりゅう)
垂柳不縈裙帯住 垂柳(すいりゅう) 裙帯(くんたい)を縈(まと)い住(とど)まらず
漫長是 繋行舟 漫(みだ)りに長く是(こ)れ 行舟(こうしゅう)を繋(か)く
※ 三句目の「颸颸」(しし)は外字になるので変えています。
本来は「思」の部分が「叟」で「しゅうしゅう」と読みます。
⊂訳⊃
人が悲しい気持ちになるのは どんなときであろうか
旅する者が 心に秋を感じるとき
芭蕉の葉は 雨にうたれなくてもさわさわと鳴り
秋の夜は涼しくて 天気もいいというが
明月がでても 高楼に登るのはいやだ
過ぎ去った歳月の さまざまなことは夢と消え
花は散り果て 靄の中を流れる川のようだ
燕は帰っていくが 旅人の私はとどまっている
しだれ柳は あの人を引き止めてはくれず
いつまでも 私を舟に繋ぎ止めているだけだ
⊂ものがたり⊃ 宋詞のもうひとつの流れである詞については、劉克荘より十四歳ほど若い呉文英(ごぶんえい)がいます。呉文英(1200?ー1260?)は四明(浙江省寧波市)の人。憲宗の慶元六年(1200)ころに生まれ、南宋最後の詞人といわれています。
官職についたことはなく、権門富貴の家に出入りして作品を提供し、生活の資をえていたようです。残した作品の数は宋代随一といわれ、艷麗かつ優美な作風が南宋末期の有閑富裕の人々に好まれました。理宗の景定元年(1260)ころになくなり、享年六十歳くらいです。
詞題の「唐多令」(とうたれい)の令は歌という意味で、曲名を示します。二、三、二、三と区切りながら、全体として女性と別れて旅をつづける嘆き、悲しみを詠います。はじめの二句は導入の問いと答え、自問自答と考えることもできます。つぎの三句では「心上の秋」を具体的にしめします。
芭蕉の葉がさわさわと鳴る音にも心をうたれ、秋の夜は涼しく、晴れて気持ちがよいのですが、そんな夜に美しい月がでたといっても、月が女性を思い出させるので高楼に登るのはいやだといいます。「楼」は女性の家を連想させる語でもあります。
後半もさまざまな景をならべて、女性といっしょになれない悲しみを詠います。はじめ二句の「年事」は過ぎ去った年のいろいろな出来事。つまり恋の日々は夢のように消え去り、「花」(美しい出来事)は「煙水」(靄に包まれた流れ)のように捉らえどころがありません。
つづく三句、渡り鳥の燕は南へ帰っていくのに、「客」(旅人である私)はまだ旅をつづけています。しだれ柳は別れていく人の「裙帯」(裳裾と帯、女性の意味でもあります)にしがみついて引き止めるといいますが、あの人は引き止めてくれませんでした。柳はただいたずらに私の乗る舟を繋ぎ止めているだけだったと嘆きながら結びとします。