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ティェンタオの自由訳漢詩 2292

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 南宋45ー劉克荘
   湖南江西道中             湖南江西の道中

  丁男放犢草間嬉   丁男(ていだん)は犢(こうし)を放って草間(そうかん)に嬉(たわむ)れしめ
  少婦看蚕不画眉   少婦(しょうふ)は蚕(かいこ)を看て眉(まゆ)を画(えが)かず
  歳暮家家禾絹熟   歳暮(さいぼ)  家家(かか)  禾絹(かけん)熟し
  萍郷風物似豳詩   萍郷(ひょうきょう)の風物   豳詩(ひんし)に似たり

  ⊂訳⊃
          男たちは  子牛を放牧して草原に遊ばせ

          女たちは  養蚕が忙しくて化粧もしない

          収穫の秋には  家々に穀物がみのり

          萍郷一帯は   豳風「七月」の詩のようだ


 ⊂ものがたり⊃ 劉克荘(りゅうこくそう:1187ー1269)は莆田(福建省莆田県)の人。戴復古より二十歳若く、孝宗の淳煕十四年(1187)に生まれました。若いころは「永嘉四霊」の時代でしたので、その影響を受けます。嘉定元年(1208)の和約のとき二十二歳でした。嘉定年間に建陽(福建省)の令になりますが、権臣史弥遠(しびえん)を諷した詩を書いて弾劾され、官を追われます。
 10年後、鄭清之(ていせいし)の弁護によって赦され、理宗の淳和六年(1246)に進士の資格をあたえられて秘書少監兼中書舎人になります。史弥遠の子で右丞相兼枢密の史嵩之(しすうし)を弾劾して名をあげ、累進して龍図閣直学士にいたります。致仕して度宗の咸淳五年(1296)に亡くなりました。享年八十三歳です。
 詩題の「湖南江西の道中」は湖南から東の江西にむかう旅の途中での作という意味です。前半二句は農村の人々の勤勉なはたらきを描きます。「丁男」は働きざかりの男たち、「少婦」は若い妻たちです。後半はそうした働きの結果、秋には豊かな「禾絹」(みのり)がもたらされ、ここ「萍郷」一帯は「豳詩」(『詩経』豳風の詩)のように平和であると褒めます。
 具体的には豳風「七月」の詩をさし、周公丹が豳(陝西省岐山の北一帯)時代の先祖の農事を偲んでつくったとされる詩のことで、古代の理想的な郷村生活を意味します。   

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