南宋42ー徐璣
憑 高 高きに憑る
憑高散幽策 高きに憑(よ)って 幽策(ゆうさく)を散ずれば
緑草満春坡 緑草(りょくそう) 春坡(しゅんぱ)に満つ
楚野無林木 楚野(そや) 林木(りんぼく)無く
湘山似水波 湘山(しょうざん) 水波(すいは)に似たり
客懐随地改 客懐(かくかい) 地に随って改まり
詩思出門多 詩思(しし) 門を出(い)づれば多し
尚有渓西寺 尚(な)お 渓西(けいせい)の寺
斜陽未得過 斜陽(しゃよう) 未(いま)だ過ぎるを得(え)ざる有り
⊂訳⊃
丘へ向かって ひとり静かに散策すれば
緑の春草が 池の堤に満ちている
楚地の野には 視界をさえぎる林はなく
湘水の山並は 波のうねりのように低くつらなる
旅の思いは 歩くにしたがって移りかわり
門を出れば 詩情が豊かに湧いてくる
谷川の西の寺に 赤い夕陽が照り映えて
日暮れにはまだ 余裕がありそうだ
⊂ものがたり⊃ 徐璣(じょき:1162ー1214)は晋江(江蘇省武進県)を本貫としますが、父の代に永嘉(浙江省温州市)に移り住みました。建安の主簿、龍渓の丞、武当の令、長泰(以上、福建省)の令、永州(湖南省永州市霊陵県)の掾と属僚を転々とし、寧宗の嘉定七年(1214)に亡くなります。享年五十三歳です。
詩題の「高きに憑る」は冒頭の二語を取り、九月九日重陽の節句に小高い丘に登ることです。詩に「楚野」「湘山」「客懐」の語がありますので、永州在任のときの作と思われます。「幽策」の策は杖のことで、ひとり静かに散歩をすること。以下、小高い丘の小径をたどりながら展開する風景を描きます。
「楚野」は楚地の野、水田が拡がっていて視界をさえぎる林はありません。「湘山」は湘水の流れにそった山なみのことで、波のうねりのように低くつらなっています。「客懐」は旅の思い。他郷から来たという思いは歩くにしたがって移りかわり、詩情は門をでたときから豊かに湧いています。丘のうえから眺めると、谷の西側の寺に夕陽が照り映え、かえりの時間にはまだ余裕があると、高処からの眺めを楽しむのです。
憑 高 高きに憑る
憑高散幽策 高きに憑(よ)って 幽策(ゆうさく)を散ずれば
緑草満春坡 緑草(りょくそう) 春坡(しゅんぱ)に満つ
楚野無林木 楚野(そや) 林木(りんぼく)無く
湘山似水波 湘山(しょうざん) 水波(すいは)に似たり
客懐随地改 客懐(かくかい) 地に随って改まり
詩思出門多 詩思(しし) 門を出(い)づれば多し
尚有渓西寺 尚(な)お 渓西(けいせい)の寺
斜陽未得過 斜陽(しゃよう) 未(いま)だ過ぎるを得(え)ざる有り
⊂訳⊃
丘へ向かって ひとり静かに散策すれば
緑の春草が 池の堤に満ちている
楚地の野には 視界をさえぎる林はなく
湘水の山並は 波のうねりのように低くつらなる
旅の思いは 歩くにしたがって移りかわり
門を出れば 詩情が豊かに湧いてくる
谷川の西の寺に 赤い夕陽が照り映えて
日暮れにはまだ 余裕がありそうだ
⊂ものがたり⊃ 徐璣(じょき:1162ー1214)は晋江(江蘇省武進県)を本貫としますが、父の代に永嘉(浙江省温州市)に移り住みました。建安の主簿、龍渓の丞、武当の令、長泰(以上、福建省)の令、永州(湖南省永州市霊陵県)の掾と属僚を転々とし、寧宗の嘉定七年(1214)に亡くなります。享年五十三歳です。
詩題の「高きに憑る」は冒頭の二語を取り、九月九日重陽の節句に小高い丘に登ることです。詩に「楚野」「湘山」「客懐」の語がありますので、永州在任のときの作と思われます。「幽策」の策は杖のことで、ひとり静かに散歩をすること。以下、小高い丘の小径をたどりながら展開する風景を描きます。
「楚野」は楚地の野、水田が拡がっていて視界をさえぎる林はありません。「湘山」は湘水の流れにそった山なみのことで、波のうねりのように低くつらなっています。「客懐」は旅の思い。他郷から来たという思いは歩くにしたがって移りかわり、詩情は門をでたときから豊かに湧いています。丘のうえから眺めると、谷の西側の寺に夕陽が照り映え、かえりの時間にはまだ余裕があると、高処からの眺めを楽しむのです。