南宋41ー徐照
過鄱陽湖 鄱陽湖を過ぐ
港中分十字 港中(こうちゅう) 十字を分(わか)ち
蜀広亦通連 蜀広(しょくこう)も亦 通じ連(つら)なる
四望疑無地 四望(しぼう) 地(ち)無きかと疑い
孤舟若在天 孤舟(こしゅう) 天に在るが若(ごと)し
龍尊収巨浪 龍(りゅう) 尊(たか)くして巨浪(きょろう)を収め
鷗小没蒼煙 鷗(かもめ) 小にして蒼煙(そうえん)に没す
未渡皆驚畏 未だ渡らざるとき 皆 驚畏(きょうい)するも
吾今已帖然 吾(わ)れ今 已(すで)に帖然(ちょうぜん)
⊂訳⊃
港のなかは 舟が縦横に行き来し
西の蜀や 東の広州まで通じている
四方を眺め 陸地はないのかと疑い
舟はまるで 天空に浮かんでいるかのようだ
龍神の力は 大波をしずめ
小さな鷗も 灰色の靄のなかへ飛んでいく
渡るまえは みな畏れおののいていたが
いまは私も ゆったりと落ちついている
⊂ものがたり⊃ 徐照(じょしょう:?ー1211)は永嘉(浙江省温州市)の人。生涯官職につかず、湖南・江西を旅したり、永嘉の山中に廬を結んで住んだりしました。のちに街中の江心寺のわきに移り、寧宗の嘉定四年(1211)になくなります。
詩題の「鄱陽湖」(はようこ)は江西北部の湖です。西側に廬山をひかえる景勝の地でした。徐照には旅での作が多く、詩作の指導や吟遊会のような催しをして暮らしていたようです。詩は二句ずつ時間の流れを追って展開し、わかりやすく書かれています。こんな風につくればいいのですよと、お手本を示すのでしょう。
はじめの二句は湖岸の渡津のようすです。「港中 十字を分ち」は港の中を舟が縦横十文字にゆきかっていること。その航路は「蜀広」(西は蜀、東は広州)に通じていると展望をしめします。ついで舟を湖上に漕ぎ出します。湖はひろくて水平線をめぐらすだけです。まるで空中に浮かんでいるような気がします。
なんだか不安な気もしますが、湖に棲む龍神は「尊」(偉大な力の持ち主)で、大波をしずめてくれるし、空飛ぶ鷗は小さいけれど、悠々と飛んで靄のなかに消えてゆきます。自分たちの舟も安心だというのです。
結びは舟が向こう岸に着いたときの感懐で、渡る前はみな驚き恐れていたけれど、渡りおえたいまは「帖然」(ゆったりと落ちついているさま)としているなあ、とにっこり笑うのでしょう。
過鄱陽湖 鄱陽湖を過ぐ
港中分十字 港中(こうちゅう) 十字を分(わか)ち
蜀広亦通連 蜀広(しょくこう)も亦 通じ連(つら)なる
四望疑無地 四望(しぼう) 地(ち)無きかと疑い
孤舟若在天 孤舟(こしゅう) 天に在るが若(ごと)し
龍尊収巨浪 龍(りゅう) 尊(たか)くして巨浪(きょろう)を収め
鷗小没蒼煙 鷗(かもめ) 小にして蒼煙(そうえん)に没す
未渡皆驚畏 未だ渡らざるとき 皆 驚畏(きょうい)するも
吾今已帖然 吾(わ)れ今 已(すで)に帖然(ちょうぜん)
⊂訳⊃
港のなかは 舟が縦横に行き来し
西の蜀や 東の広州まで通じている
四方を眺め 陸地はないのかと疑い
舟はまるで 天空に浮かんでいるかのようだ
龍神の力は 大波をしずめ
小さな鷗も 灰色の靄のなかへ飛んでいく
渡るまえは みな畏れおののいていたが
いまは私も ゆったりと落ちついている
⊂ものがたり⊃ 徐照(じょしょう:?ー1211)は永嘉(浙江省温州市)の人。生涯官職につかず、湖南・江西を旅したり、永嘉の山中に廬を結んで住んだりしました。のちに街中の江心寺のわきに移り、寧宗の嘉定四年(1211)になくなります。
詩題の「鄱陽湖」(はようこ)は江西北部の湖です。西側に廬山をひかえる景勝の地でした。徐照には旅での作が多く、詩作の指導や吟遊会のような催しをして暮らしていたようです。詩は二句ずつ時間の流れを追って展開し、わかりやすく書かれています。こんな風につくればいいのですよと、お手本を示すのでしょう。
はじめの二句は湖岸の渡津のようすです。「港中 十字を分ち」は港の中を舟が縦横十文字にゆきかっていること。その航路は「蜀広」(西は蜀、東は広州)に通じていると展望をしめします。ついで舟を湖上に漕ぎ出します。湖はひろくて水平線をめぐらすだけです。まるで空中に浮かんでいるような気がします。
なんだか不安な気もしますが、湖に棲む龍神は「尊」(偉大な力の持ち主)で、大波をしずめてくれるし、空飛ぶ鷗は小さいけれど、悠々と飛んで靄のなかに消えてゆきます。自分たちの舟も安心だというのです。
結びは舟が向こう岸に着いたときの感懐で、渡る前はみな驚き恐れていたけれど、渡りおえたいまは「帖然」(ゆったりと落ちついているさま)としているなあ、とにっこり笑うのでしょう。