南宋35ー姜夔
疏 影 疏 影 (上片十句)
苔枝綴玉 苔(こけ)むす枝に玉(ぎょく)を綴(つづ)り
有翠禽小小 翠禽(すいきん)の小小(いとちさ)き有り
枝上同宿 枝上(しじょう)に同宿(どうしゅく)す
客裏相逢 客裏(かくり) 相逢(あいあ)う
籬角黄昏 籬角(りかく) 黄昏(こうこん)
無言自倚修竹 言(げん)無く自(みずか)ら修竹(しゅうちく)に倚(よ)る
昭君不慣胡沙遠 昭君(しょうくん) 胡沙(こさ)の遠きに慣(な)れず
但暗憶江南江北 但(た)だ暗(ひそ)かに江南江北を憶(おも)うならん
想佩環月夜帰来 想うに佩環(はいかん) 月夜(げつや) 帰り来たり
化作此花幽独 化(か)して此の花と作(な)って幽独(ゆうどく)ならん
⊂訳⊃
苔むす枝に 玉とつらなる梅の花
青い小鳥が 飛んできて
小枝の上で 共寝する
旅の宿で 出逢った人のように
黄昏どきに 籬の隅で
竹に凭れて 無言でひとり立っている
王昭君は 胡地の砂漠に慣れないまま
ひたすらに 故国を偲んでいたというが
思うに彼女の佩び玉が 月夜にひそかに帰ってきて
ひとりひっそり この花になったのだろう
⊂ものがたり⊃ 姜夔(きょうき:1155?ー1221?)は饒州鄱陽(江西省波陽市)の人。詩は黄庭堅(こうていけん)の詩風に学び、のち陸亀蒙(りくきもう)に傾倒しました。姜夔は辛棄疾(しんきしつ)よりも十五歳若い人ですが、辛棄疾とおなじ過渡期の詩人といえます。
進士に及第せず、音律に明るかったので、朝廷の雅楽を正そうと上書しましたが用いられませんでした。一生仕官せず、長沙・漢陽・揚州・杭州の間を往来し、范成大(はんせいだい)や楊万里(ようばんり)と交わりました。楽曲にくわしく、自作の詞にみずから曲をつけるほどでした。詞では柳永(りゅうえい)・辛棄疾らと並んで四大家のひとりに数えられています。寧宗の嘉定十四年(1221)ころ平江(江蘇省蘇州市)で病没し、享年六十七歳くらいです。
詞題の「蔬影」(そえい)はまばらな影のこと。光宗の紹煕二年(1191)、三十七歳の冬、石湖に隠棲していた范成大を訪れ、「暗香」「蔬影」の二曲をつくったと序にあり、いずれも梅花を主題とする詞です。
上片のはじめ六句は梅の花の咲くさまを描くもので、「客裏 相逢う」と旅先で出逢った人(女性)に思いを重ねます。つづく四句は「昭君」(王昭君)の説話を援用し、匈奴の単于に贈られた王昭君が故郷(四川省興山県宝坪村)を思うあまり、彼女の「佩環」(佩び玉)が空を飛んでもどり、梅の花になったのであろうと幻想をくりひろげます。
疏 影 疏 影 (上片十句)
苔枝綴玉 苔(こけ)むす枝に玉(ぎょく)を綴(つづ)り
有翠禽小小 翠禽(すいきん)の小小(いとちさ)き有り
枝上同宿 枝上(しじょう)に同宿(どうしゅく)す
客裏相逢 客裏(かくり) 相逢(あいあ)う
籬角黄昏 籬角(りかく) 黄昏(こうこん)
無言自倚修竹 言(げん)無く自(みずか)ら修竹(しゅうちく)に倚(よ)る
昭君不慣胡沙遠 昭君(しょうくん) 胡沙(こさ)の遠きに慣(な)れず
但暗憶江南江北 但(た)だ暗(ひそ)かに江南江北を憶(おも)うならん
想佩環月夜帰来 想うに佩環(はいかん) 月夜(げつや) 帰り来たり
化作此花幽独 化(か)して此の花と作(な)って幽独(ゆうどく)ならん
⊂訳⊃
苔むす枝に 玉とつらなる梅の花
青い小鳥が 飛んできて
小枝の上で 共寝する
旅の宿で 出逢った人のように
黄昏どきに 籬の隅で
竹に凭れて 無言でひとり立っている
王昭君は 胡地の砂漠に慣れないまま
ひたすらに 故国を偲んでいたというが
思うに彼女の佩び玉が 月夜にひそかに帰ってきて
ひとりひっそり この花になったのだろう
⊂ものがたり⊃ 姜夔(きょうき:1155?ー1221?)は饒州鄱陽(江西省波陽市)の人。詩は黄庭堅(こうていけん)の詩風に学び、のち陸亀蒙(りくきもう)に傾倒しました。姜夔は辛棄疾(しんきしつ)よりも十五歳若い人ですが、辛棄疾とおなじ過渡期の詩人といえます。
進士に及第せず、音律に明るかったので、朝廷の雅楽を正そうと上書しましたが用いられませんでした。一生仕官せず、長沙・漢陽・揚州・杭州の間を往来し、范成大(はんせいだい)や楊万里(ようばんり)と交わりました。楽曲にくわしく、自作の詞にみずから曲をつけるほどでした。詞では柳永(りゅうえい)・辛棄疾らと並んで四大家のひとりに数えられています。寧宗の嘉定十四年(1221)ころ平江(江蘇省蘇州市)で病没し、享年六十七歳くらいです。
詞題の「蔬影」(そえい)はまばらな影のこと。光宗の紹煕二年(1191)、三十七歳の冬、石湖に隠棲していた范成大を訪れ、「暗香」「蔬影」の二曲をつくったと序にあり、いずれも梅花を主題とする詞です。
上片のはじめ六句は梅の花の咲くさまを描くもので、「客裏 相逢う」と旅先で出逢った人(女性)に思いを重ねます。つづく四句は「昭君」(王昭君)の説話を援用し、匈奴の単于に贈られた王昭君が故郷(四川省興山県宝坪村)を思うあまり、彼女の「佩環」(佩び玉)が空を飛んでもどり、梅の花になったのであろうと幻想をくりひろげます。