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ティェンタオの自由訳漢詩 2282

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 南宋35ー姜夔
    疏 影                疏 影        (上片十句)

  苔枝綴玉        苔(こけ)むす枝に玉(ぎょく)を綴(つづ)り
  有翠禽小小      翠禽(すいきん)の小小(いとちさ)き有り
  枝上同宿        枝上(しじょう)に同宿(どうしゅく)す
  客裏相逢        客裏(かくり)  相逢(あいあ)う
  籬角黄昏        籬角(りかく)  黄昏(こうこん)
  無言自倚修竹     言(げん)無く自(みずか)ら修竹(しゅうちく)に倚(よ)る
  昭君不慣胡沙遠   昭君(しょうくん)  胡沙(こさ)の遠きに慣(な)れず
  但暗憶江南江北   但(た)だ暗(ひそ)かに江南江北を憶(おも)うならん
  想佩環月夜帰来   想うに佩環(はいかん)  月夜(げつや)  帰り来たり
  化作此花幽独     化(か)して此の花と作(な)って幽独(ゆうどく)ならん

  ⊂訳⊃
          苔むす枝に  玉とつらなる梅の花
          青い小鳥が  飛んできて
          小枝の上で  共寝する
          旅の宿で   出逢った人のように
          黄昏どきに  籬の隅で
          竹に凭れて  無言でひとり立っている
          王昭君は   胡地の砂漠に慣れないまま
          ひたすらに  故国を偲んでいたというが
          思うに彼女の佩び玉が  月夜にひそかに帰ってきて
          ひとりひっそり  この花になったのだろう


 ⊂ものがたり⊃ 姜夔(きょうき:1155?ー1221?)は饒州鄱陽(江西省波陽市)の人。詩は黄庭堅(こうていけん)の詩風に学び、のち陸亀蒙(りくきもう)に傾倒しました。姜夔は辛棄疾(しんきしつ)よりも十五歳若い人ですが、辛棄疾とおなじ過渡期の詩人といえます。
 進士に及第せず、音律に明るかったので、朝廷の雅楽を正そうと上書しましたが用いられませんでした。一生仕官せず、長沙・漢陽・揚州・杭州の間を往来し、范成大(はんせいだい)や楊万里(ようばんり)と交わりました。楽曲にくわしく、自作の詞にみずから曲をつけるほどでした。詞では柳永(りゅうえい)・辛棄疾らと並んで四大家のひとりに数えられています。寧宗の嘉定十四年(1221)ころ平江(江蘇省蘇州市)で病没し、享年六十七歳くらいです。
 詞題の「蔬影」(そえい)はまばらな影のこと。光宗の紹煕二年(1191)、三十七歳の冬、石湖に隠棲していた范成大を訪れ、「暗香」「蔬影」の二曲をつくったと序にあり、いずれも梅花を主題とする詞です。
 上片のはじめ六句は梅の花の咲くさまを描くもので、「客裏 相逢う」と旅先で出逢った人(女性)に思いを重ねます。つづく四句は「昭君」(王昭君)の説話を援用し、匈奴の単于に贈られた王昭君が故郷(四川省興山県宝坪村)を思うあまり、彼女の「佩環」(佩び玉)が空を飛んでもどり、梅の花になったのであろうと幻想をくりひろげます。

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