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ティェンタオの自由訳漢詩 1878

 初唐18ー駱賓王
   在獄詠蝉          獄に在りて蝉を詠ず

  西陸蝉声唱     西陸(せいりく)   蝉声(せんせい)唱(とな)え
  南冠客思深     南冠(なんかん)  客思(かくし)深し
  那堪玄鬢影     那(なん)ぞ堪(た)えん  玄鬢(げんびん)の影の
  来対白頭吟     来たりて白頭吟(がくとうぎん)に対するに
  露重飛難進     露(つゆ)重くして 飛ぶも進み難く
  風多響易沈     風多くして  響き沈み易(やす)し
  無人信高潔     人(ひと)の  高潔(こうけつ)を信ずる無くんば
  誰為表予心     誰(た)が為にか予(よ)が心を表さん

  ⊂訳⊃
          秋の日に   蝉の声
          獄舎の私は  望郷の思いに沈む
          つやのある  黒い蝉がやってきて
          白髪の私に唱和する  堪えがたいことだ
          露に濡れて  蝉は飛ぼうにも飛べず
          風が強くて  鳴き声もとぎれがち
          私の潔さを  信じる人がいないとすれば
          誰に向かって  私は訴えたらいいのだろうか


 ⊂ものがたり⊃ 駱賓王(らくひんのう)は『唐詩選』に「帝京篇」という七言古詩の大作を残しており、詩人として活躍していました。官途も累進して侍御史になりますが、高宗末の儀鳳三年(678)に上書の内容が武后の怒りに触れ、「貪臓」(どんぞう)の罪で投獄されます。詩は獄中での詠物詩です。
 蝉は高潔な人物の喩えですので、それを詠うことでみずからの潔白を訴えています。まずはじめの二句で、自分の境遇を述べます。「西陸」は秋の日の意味です。「南冠」は『春秋左氏伝』の故事を踏まえており、戦国楚の鍾儀(しょうぎ)が晋に捕らえられていたとき故郷を思って楚冠を被りつづけていました。そこから故郷を思いつづける捕虜という意味になります。
 中四句は蝉を描くもので、「玄鬢」はつやのある黒い鬢のことで、蝉を指します。「白頭吟」は楽府の曲名で、蝉の黒と自分の白髪を対比します。「露重くして」と「風多くして」は蝉を苦しめているものですが、それは逆境にある自分の比喩でもあります。そして結びで、無実を信じてくれる人がいないならば、誰に訴えたらいいのかと苦衷の思いを述べます。詠物詩が自己表白の詩に転化していることに注目すべきでしょう。
 そのご赦されて臨海(浙江省臨海県)の県丞に左遷されますが、受けずに辞職します。高宗没後の光宅元年(684)に李敬業(りけいぎょう)が反武后の兵を挙げたとき、駱賓王は挙兵に参加し、檄文を起草しました。反乱が失敗すると消息を断ち、伝説では杭州(浙江省杭州市)の霊隠寺に隠れたといいます。
   

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