南宋19ー范成大
四時田園雑興 四時田園雑興
春日 其二 春日 其の二
社下焼銭鼓似雷 社下(しゃか) 銭(せん)を焼いて 鼓(こ) 雷(いかずち)に似たり
日斜扶得酔翁囘 日(ひ) 斜めにして 酔翁(すいおう)を扶(たす)け得て回(かえ)る
青枝満地花狼藉 青枝(せいし) 地に満ちて 花 狼藉(ろうぜき)
知是児孫闘草来 知る 是(こ)れ 児孫(じそん)の草を闘(たたか)わし来たるを
⊂訳⊃
祭の日には 紙銭を焼き太鼓は雷のように鳴る
日が傾けば 酔った私は支えられて家にかえる
地面一杯に草の茎 花びらも散らかっている
そうか 子や孫が 草あわせで遊んだのだ
⊂ものがたり⊃ 若いころ社会詩を書いたことで見られるように、范成大は政事の現状を批判する目を失いませんでした。心情的には抗戦派に共感していましたが過激にはしらず、政府高官になるとバランス感覚をもって外交や内政に対処しました。しかし、政府内の路線対立は複雑で、淳煕五年(1178)六月の参知政事(副宰相)免職はそのあらわれでしょう。
翌年、大規模な農民騒動がおこり、翌七年(1180)五月には周必大(しゅうひつだい)が参知政事になって内政の充実につとめます。周必大(1126ー1204)は紹興二十一年(1151)の進士で、生年は范成大と同じですが、流入したのは范成大より先です。それまでに給事中や中書舎人を歴任しており、淳煕九年(1182)に知枢密院事にすすみます。范成大が隠退した前年の淳煕十一年(1184)には枢密使の要職に昇進していました。
「四時(しいじ)田園雑興」には序がついていて、「淳煕丙午、沈痾(ちんあ)少しく紓(やわら)ぐ。復た石湖の旧隠に至り、野外即事、輒(すなわ)ち一絶を書す。歳を終わりて六十篇を得たり。四時田園雑興と号(なず)く」とあります。
「淳煕丙午」は隠退の翌年淳煕十三年(1186)のことで、作者六十一歳のときです。その年、六十首の絶句をえたので、春日・晩春・夏日・秋日・冬日の五季に分け、各季十二絶としました。
「春日」(しゅんじつ)其の五の「社下」は村社の祭りのことで、神祠の下でしょう。立春後と立秋後の年二回、土地の神を祭ります。そのとき紙でつくった銭を燃やして神霊にささげるのです。「酔翁」は祭りの酒に酔った老人、つまり作者自身です。従者に支えられて家にかえると、庭に「青枝」(草の茎)や花びらが乱雑に散らばっていました。
それをみて、はじめはなんだと思ったのでしょう。だがすぐに子供や孫が「闘草」(草あわせ)の遊びをしたのだとわかります。闘草とは草の茎を引っかけてひっぱり合う、もしくは草の名前をあてっこする子供の遊びです。
四時田園雑興 四時田園雑興
春日 其二 春日 其の二
社下焼銭鼓似雷 社下(しゃか) 銭(せん)を焼いて 鼓(こ) 雷(いかずち)に似たり
日斜扶得酔翁囘 日(ひ) 斜めにして 酔翁(すいおう)を扶(たす)け得て回(かえ)る
青枝満地花狼藉 青枝(せいし) 地に満ちて 花 狼藉(ろうぜき)
知是児孫闘草来 知る 是(こ)れ 児孫(じそん)の草を闘(たたか)わし来たるを
⊂訳⊃
祭の日には 紙銭を焼き太鼓は雷のように鳴る
日が傾けば 酔った私は支えられて家にかえる
地面一杯に草の茎 花びらも散らかっている
そうか 子や孫が 草あわせで遊んだのだ
⊂ものがたり⊃ 若いころ社会詩を書いたことで見られるように、范成大は政事の現状を批判する目を失いませんでした。心情的には抗戦派に共感していましたが過激にはしらず、政府高官になるとバランス感覚をもって外交や内政に対処しました。しかし、政府内の路線対立は複雑で、淳煕五年(1178)六月の参知政事(副宰相)免職はそのあらわれでしょう。
翌年、大規模な農民騒動がおこり、翌七年(1180)五月には周必大(しゅうひつだい)が参知政事になって内政の充実につとめます。周必大(1126ー1204)は紹興二十一年(1151)の進士で、生年は范成大と同じですが、流入したのは范成大より先です。それまでに給事中や中書舎人を歴任しており、淳煕九年(1182)に知枢密院事にすすみます。范成大が隠退した前年の淳煕十一年(1184)には枢密使の要職に昇進していました。
「四時(しいじ)田園雑興」には序がついていて、「淳煕丙午、沈痾(ちんあ)少しく紓(やわら)ぐ。復た石湖の旧隠に至り、野外即事、輒(すなわ)ち一絶を書す。歳を終わりて六十篇を得たり。四時田園雑興と号(なず)く」とあります。
「淳煕丙午」は隠退の翌年淳煕十三年(1186)のことで、作者六十一歳のときです。その年、六十首の絶句をえたので、春日・晩春・夏日・秋日・冬日の五季に分け、各季十二絶としました。
「春日」(しゅんじつ)其の五の「社下」は村社の祭りのことで、神祠の下でしょう。立春後と立秋後の年二回、土地の神を祭ります。そのとき紙でつくった銭を燃やして神霊にささげるのです。「酔翁」は祭りの酒に酔った老人、つまり作者自身です。従者に支えられて家にかえると、庭に「青枝」(草の茎)や花びらが乱雑に散らばっていました。
それをみて、はじめはなんだと思ったのでしょう。だがすぐに子供や孫が「闘草」(草あわせ)の遊びをしたのだとわかります。闘草とは草の茎を引っかけてひっぱり合う、もしくは草の名前をあてっこする子供の遊びです。