南宋17ー范成大
宜春苑 宜春苑
狐塚貛蹊満路隅 狐塚(こちょう) 貛蹊(かんけい) 路隅(ろぐう)に満つ
行人猶作御園呼 行人(こうじん) 猶(な)お作(な)す御園(ぎょえん)と呼ぶを
連昌尚有花臨砌 連昌(れんしょう) 尚(な)お花の砌(ぜい)に臨む有り
腸断宜春寸草無 腸(はらわた)は断(た)ゆ 宜春(ぎしゅん) 寸草(すんそう)無し
※ 一行目の「貛」は犭偏です。外字になるので同音の字に変えています。
⊂訳⊃
路の片隅には 狐の棲みか 狼の通る径
それでも人は まだ御園と呼んでいる
「連昌宮詞」にさえ 階の砌に臨んで花とあるのに
腸も千切れるほどだ 宜春苑にはわずかの草もない
⊂ものがたり⊃ 詩題の「宜春苑」(ぎしゅんえん)は北宋の都汴梁の東二里のところにあった庭園です。乾道六年(1170)、国信使に任じられた范成大は、八月十一日に国境の淮水をこえ、九月九日に金の中都(北京市)にはいっています。
その途中、旧都汴梁にたちよりますが、都門に着くまえに宜春苑の地を通過しました。転句の「連昌」は唐の宮殿の名で、中唐の詩人元稹の「連昌宮詞」に安史の乱後の「連昌宮」を詠って「上皇偏(ひと)えに愛せり 砌に臨むの花」の句があります。転結句はこの句を踏まえて、宜春苑の荒れたさまを嘆くのです。なお、「砌」(きざはし)は階の上り口の石畳のことです。
宜春苑 宜春苑
狐塚貛蹊満路隅 狐塚(こちょう) 貛蹊(かんけい) 路隅(ろぐう)に満つ
行人猶作御園呼 行人(こうじん) 猶(な)お作(な)す御園(ぎょえん)と呼ぶを
連昌尚有花臨砌 連昌(れんしょう) 尚(な)お花の砌(ぜい)に臨む有り
腸断宜春寸草無 腸(はらわた)は断(た)ゆ 宜春(ぎしゅん) 寸草(すんそう)無し
※ 一行目の「貛」は犭偏です。外字になるので同音の字に変えています。
⊂訳⊃
路の片隅には 狐の棲みか 狼の通る径
それでも人は まだ御園と呼んでいる
「連昌宮詞」にさえ 階の砌に臨んで花とあるのに
腸も千切れるほどだ 宜春苑にはわずかの草もない
⊂ものがたり⊃ 詩題の「宜春苑」(ぎしゅんえん)は北宋の都汴梁の東二里のところにあった庭園です。乾道六年(1170)、国信使に任じられた范成大は、八月十一日に国境の淮水をこえ、九月九日に金の中都(北京市)にはいっています。
その途中、旧都汴梁にたちよりますが、都門に着くまえに宜春苑の地を通過しました。転句の「連昌」は唐の宮殿の名で、中唐の詩人元稹の「連昌宮詞」に安史の乱後の「連昌宮」を詠って「上皇偏(ひと)えに愛せり 砌に臨むの花」の句があります。転結句はこの句を踏まえて、宜春苑の荒れたさまを嘆くのです。なお、「砌」(きざはし)は階の上り口の石畳のことです。