Quantcast
Viewing all articles
Browse latest Browse all 554

ティェンタオの自由訳漢詩 2255

 南宋8ー李清照
    如夢令               如夢令

  昨夜雨疏風驟    昨夜(さくや)    雨疏(まば)らに  風驟(にわ)かなり
  濃睡不消残洒    濃睡(のうすい)  残洒(ざんしゅ)を消さず
  試問巻簾人      試(こころ)みに  簾(すだれ)を巻く人に問えば
  却道海棠依旧    却(かえ)って道(い)う  海棠(かいどう)は旧に依(よ)ると
  知否           知るや否や
  知否           知るや否や
  応是緑肥紅痩    応(まさ)に是(こ)れ  緑肥え 紅(くれない) 痩(や)せたるべし

  ⊂訳⊃
          昨夜は雨が  ぱらぱらと降って急な風
          ぐっすり眠ったが  酔いはまだ残っている
          簾を巻き上げにきた侍女に尋ねると
          海棠の花に  異常はありませんという
          そうかしら
          そうかしら
          緑だけが多くなり  紅の花は散ったであろう


 ⊂ものがたり⊃ 李清照(りせいしょう:1084ー1151?)は済南(山東省済南市)の人。呂本中と同じ年に学者の家に生まれました。十八歳のとき、学者の趙明誠(ちょうめいせい)と結婚し、夫に協力して石碑・書画・奇器の蒐集研究に従事しました。
 四十三歳のとき金の侵攻に遭遇、難を避けて夫とともに江南に移ります。しかし、ほどなく夫は急病でなくなり、持ってきた家蔵の品を売りながら暮らす生活におちいります。その詞には国破れて家滅びる悲惨な心情がにじみでており、中国史上最高の閨秀作家と称されています。しかし、その最後は不明のままで、高宗の紹興二十一年(1151)ころに亡くなったと推定されています。享年六十八歳くらいです。
 詞「如夢令」(じょぼうれい)は結婚前、娘時代の作とみられ、発想が孟浩然の「春暁」(盛唐53、2014.5.7のブログ参照)「夜来 風雨の声 花落つること知るや多少ぞ」に似ているのは江西詩派の影響でしょう。孟浩然の詩が自問自答であるのに対して、ここでは侍女との対話があり、いかにも良家の子女らしいゆったりした雰囲気があります。  

Viewing all articles
Browse latest Browse all 554

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>