南宋5ー陳与義
江南春 江南の春
雨後江上緑 雨後(うご) 江上(こうじょう)の緑
客悲随眼新 客悲(かくひ) 眼に随って新たなり
桃花十里影 桃花(とうか) 十里の影
揺蕩一江春 揺蕩(ようとう)す 一江(いっこう)の春
朝風逆船波浪悪 朝風(ちょうふう) 船に逆らって 波浪(はろう)悪(わる)し
暮風送船無処泊 暮風(ぼふう) 船を送って 泊るに処(ところ)無し
江南雖好不如帰 江南(こうなん)好しと雖(いえど)も 帰るに如(し)かず
老薺遶墻人得肥 老薺(ろうせい) 墻(しょう)を遶(めぐ)って 人 肥(こ)ゆるを得ん
⊂訳⊃
長江の岸辺に 雨はあがって緑色
旅する身には 春の眺めも悲しみとなる
十里にわたる 桃の花
春の長江は 揺れ動いて静まらない
朝風に船を出せば 逆波が舳先をさえぎり
夕風に船を進めても 泊まるところがない
江南は好しというが 故郷に勝るものはない
垣の周りに薺が育ち 食べれば栄養たっぷりだ
⊂ものがたり⊃ 詩題の「江南の春」といえば、唐代では豊かで美しい季節、晴れやかさの象徴でした。それを逆手にとって帰郷への思いを詠います。この場合、帰郷とは金とたたかう政事路線を意味します。高宗が越州に居所をおいていた紹興元年(1131)のころ、陳与義は行在所の近くにきていました。紹興二年、臨安に召されて官に復帰し、詩は復帰後の作品です。
五言四句、七言四句の変則な詩形で、二首の詩をくっつけたように見えますが、中四句は二組の対句になっています。はじめの二句、「雨後」は金軍が江南から撤退して苦難の数年が終わったことを喩えます。しかし、故郷を離れていることの悲しみはぬぐい去れません。
中四句のはじめの対句は江南の春景色です。長江は波静かではなく「揺蕩」しています。金軍再侵入の不安はぬぐい去れません。つぎの対句は船の運行に託して政事の難しさを嘆くものです。抗戦派の陳与義は講和派の秦檜(しんかい)と対立していました。
結びの二句では汴梁回復の希望を詠います。「江南好しと雖も」は白居易に「江南を懐う三首」(ティェンタオの自由訳漢詩925:2011.2.6のブログ参照)の詞があり、「江南好し」ではじまります。その句をもちいて和平論を否定し、「不如帰」(帰るに如かず)と詠うのです。
江南春 江南の春
雨後江上緑 雨後(うご) 江上(こうじょう)の緑
客悲随眼新 客悲(かくひ) 眼に随って新たなり
桃花十里影 桃花(とうか) 十里の影
揺蕩一江春 揺蕩(ようとう)す 一江(いっこう)の春
朝風逆船波浪悪 朝風(ちょうふう) 船に逆らって 波浪(はろう)悪(わる)し
暮風送船無処泊 暮風(ぼふう) 船を送って 泊るに処(ところ)無し
江南雖好不如帰 江南(こうなん)好しと雖(いえど)も 帰るに如(し)かず
老薺遶墻人得肥 老薺(ろうせい) 墻(しょう)を遶(めぐ)って 人 肥(こ)ゆるを得ん
⊂訳⊃
長江の岸辺に 雨はあがって緑色
旅する身には 春の眺めも悲しみとなる
十里にわたる 桃の花
春の長江は 揺れ動いて静まらない
朝風に船を出せば 逆波が舳先をさえぎり
夕風に船を進めても 泊まるところがない
江南は好しというが 故郷に勝るものはない
垣の周りに薺が育ち 食べれば栄養たっぷりだ
⊂ものがたり⊃ 詩題の「江南の春」といえば、唐代では豊かで美しい季節、晴れやかさの象徴でした。それを逆手にとって帰郷への思いを詠います。この場合、帰郷とは金とたたかう政事路線を意味します。高宗が越州に居所をおいていた紹興元年(1131)のころ、陳与義は行在所の近くにきていました。紹興二年、臨安に召されて官に復帰し、詩は復帰後の作品です。
五言四句、七言四句の変則な詩形で、二首の詩をくっつけたように見えますが、中四句は二組の対句になっています。はじめの二句、「雨後」は金軍が江南から撤退して苦難の数年が終わったことを喩えます。しかし、故郷を離れていることの悲しみはぬぐい去れません。
中四句のはじめの対句は江南の春景色です。長江は波静かではなく「揺蕩」しています。金軍再侵入の不安はぬぐい去れません。つぎの対句は船の運行に託して政事の難しさを嘆くものです。抗戦派の陳与義は講和派の秦檜(しんかい)と対立していました。
結びの二句では汴梁回復の希望を詠います。「江南好しと雖も」は白居易に「江南を懐う三首」(ティェンタオの自由訳漢詩925:2011.2.6のブログ参照)の詞があり、「江南好し」ではじまります。その句をもちいて和平論を否定し、「不如帰」(帰るに如かず)と詠うのです。