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ティェンタオの自由訳漢詩 2245

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 北宋70ー陳師道
    示三子               三子に示す

  去遠即相忘     去ること遠くして   即(たと)い相忘(あいわす)るとも
  帰近不可忍     帰ること近ければ  忍(しの)ぶ可(べ)からず
  児女已在眼     児女(じじょ)   已(すで)に眼(まなこ)に在り
  眉目略不省     眉目(びもく)   略々(ほぼ)省(せい)せず
  喜極不得語     喜び極まって  語るを得ず
  涙尽方一哂     涙尽(つ)きて  方(まさ)に一哂(いっしん)す
  了知不是夢     了(つい)に   是(こ)れ夢ならざるを知るも
  忽忽心未穏     忽忽(こつこつ)として  心  未(いま)だ穏(おだや)かならず

  ⊂訳⊃
          永の別れであれば  忘れることがあるかもしれないが
          会える日が近いと思えば  じっとしていられない
          わが子わが娘が 目の前におり
          顔かたちも    涙でかすんでしまう
          喜びは極まって  言葉もでらず
          涙はでつくして  ようやく笑みがもれる
          夢ではないと   やっとわかるが
          ぼんやりして   まだ心が落ちつかないのだ


 ⊂ものがたり⊃ 詩題の「三子」(さんし)は二男一女の児女。外舅に託して三年間、成都にやっていた妻子四人が帰ってきたときの詩です。冒頭の「去ること遠くして」は死別の意味がつよく、死別ではなく生別ですので、帰ってくるのがひとしお待たれるのです。 
 中四句は再会の場面で、「眉目 略々省せず」は涙で目がうるみ子供たちの顔がかすんでよく見えないこと。「一哂」には嘲り笑うという意味がありますが、ここでは親としての不甲斐なさも含めて笑みが洩れたというニュアンスでしょう。
 結びは夢ではない、再びいっしょになれたとわかるのですが、「忽忽」はさだかでないさまで、どうもぼんやりして心が落ち着かないといいます。この時代としては個人として父親としての感情を極めて率直に詠っている詩です。 

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