北宋50ー王安石
葛渓駅 葛渓駅
缺月昏昏漏未央 缺月(けつげつ) 昏昏(こんこん) 漏(ろう) 未(いま)だ央(つ)きず
一燈明滅照秋牀 一燈(いっとう) 明滅(めいめつ) 秋牀(しゅうしょう)を照らす
病身最覚風露早 病身は最も覚(おぼ)ゆ 風露(ふうろ)の早きを
帰夢不知山水長 帰夢(きむ)は知らず 山水の長きを
坐感歳時歌慷慨 坐して歳時(さいじ)に感ずれば 歌 慷慨(こうがい)し
起看天地色淒涼 起(た)ちて天地を看(み)れば 色 淒涼(せいりょう)
鳴蝉更乱行人耳 鳴蝉(めいぜん) 更に行人(こうじん)の耳を乱し
正抱疎桐葉半黄 正(まさ)に疎桐(そとう)の 葉の半(なか)ば黄なるを抱(いだ)く
⊂訳⊃
欠けた月は朧に暗く 夜はまだ明けない
灯火が一つ明滅して 寝台を照らしている
病んだ体は 秋が来たのをいちはやく感じ
帰郷の夢は 遠い山川をいっきに越える
坐して季節に感動すれば 歌声は昂ぶり
立って天地を眺めやれば 寒々として寂しい
蝉が鳴きはじめ やかましくなったが
疎らになった桐の葉の 黄葉にしがみついて生きている
⊂ものがたり⊃ 詩題の「葛渓駅」(かつけいえき)は王安石の故郷に近い宿駅で、三十歳のころ一時帰郷したあと任地にもどる途中の作です。首聯の二句は葛渓駅の宿舎のようす。「漏」は水時計のことで、それが「未だ央きず」というのは夜明けにならないことです。夜明けに目ざめていて、気が滅入るような暗い出だしになっています。
頷聯の対句は自分を見詰めるもので、病んだ体は季節の変化を敏感に感じ、夢のなかではまだ故郷のことを思っています。そんなことを考えているうちに気持ちが昂ぶってくるのが頚聯の対句です。坐して詠えば「慷慨」し、立っては天地の「淒涼」(寂しく寒々としたもの)を感じます。
尾聯の「蝉」は昔から高潔な生き方をしている人物の喩えとして用いられる詠物で、ここでは作者自身のことでしょう。その蝉が秋になって疎らになった青桐の葉の黄葉にしがみついていると自嘲するのです。
葛渓駅 葛渓駅
缺月昏昏漏未央 缺月(けつげつ) 昏昏(こんこん) 漏(ろう) 未(いま)だ央(つ)きず
一燈明滅照秋牀 一燈(いっとう) 明滅(めいめつ) 秋牀(しゅうしょう)を照らす
病身最覚風露早 病身は最も覚(おぼ)ゆ 風露(ふうろ)の早きを
帰夢不知山水長 帰夢(きむ)は知らず 山水の長きを
坐感歳時歌慷慨 坐して歳時(さいじ)に感ずれば 歌 慷慨(こうがい)し
起看天地色淒涼 起(た)ちて天地を看(み)れば 色 淒涼(せいりょう)
鳴蝉更乱行人耳 鳴蝉(めいぜん) 更に行人(こうじん)の耳を乱し
正抱疎桐葉半黄 正(まさ)に疎桐(そとう)の 葉の半(なか)ば黄なるを抱(いだ)く
⊂訳⊃
欠けた月は朧に暗く 夜はまだ明けない
灯火が一つ明滅して 寝台を照らしている
病んだ体は 秋が来たのをいちはやく感じ
帰郷の夢は 遠い山川をいっきに越える
坐して季節に感動すれば 歌声は昂ぶり
立って天地を眺めやれば 寒々として寂しい
蝉が鳴きはじめ やかましくなったが
疎らになった桐の葉の 黄葉にしがみついて生きている
⊂ものがたり⊃ 詩題の「葛渓駅」(かつけいえき)は王安石の故郷に近い宿駅で、三十歳のころ一時帰郷したあと任地にもどる途中の作です。首聯の二句は葛渓駅の宿舎のようす。「漏」は水時計のことで、それが「未だ央きず」というのは夜明けにならないことです。夜明けに目ざめていて、気が滅入るような暗い出だしになっています。
頷聯の対句は自分を見詰めるもので、病んだ体は季節の変化を敏感に感じ、夢のなかではまだ故郷のことを思っています。そんなことを考えているうちに気持ちが昂ぶってくるのが頚聯の対句です。坐して詠えば「慷慨」し、立っては天地の「淒涼」(寂しく寒々としたもの)を感じます。
尾聯の「蝉」は昔から高潔な生き方をしている人物の喩えとして用いられる詠物で、ここでは作者自身のことでしょう。その蝉が秋になって疎らになった青桐の葉の黄葉にしがみついていると自嘲するのです。