北宋48ー王令
暑旱苦熱 暑旱 熱きに苦しむ
清風無力屠得熱 清風(せいふう) 熱を屠(ほう)り得(う)るに力(ちから)無く
落日着翅飛上山 落日(らくじつ) 翅(つばさ)を着けて 飛んで山に上(のぼ)る
人固已懼江海竭 人 固(もと)より已(すで)に江海(こうかい)の竭(つ)きんことを懼(おそ)れ
天豈不惜河漢乾 天 豈(あ)に河漢(かかん)の乾くを惜(おし)まざらんや
崑崙之高有積雪 崑崙(こんろん)の高きに 雪を積む有り
蓬萊之遠常遺寒 蓬萊(ほうらい)の遠きに 常に寒(かん)を遺(のこ)す
不能手提天下往 手に天下を提(ひっさ)げて往(ゆ)くこと能(あた)わずんば
何忍身去游其間 何ぞ忍(しの)びん 身 去(ゆ)きて其の間(かん)に游ぶに
⊂訳⊃
涼しい風も 暑さを根だやしにする力はない
夕陽は翼をつけたように 山上にとどまっている
人は川や海が干上がってしまうのを恐れ
天は天の川が涸れてしまうのを惜しむはずだ
崑崙山の頂には 雪がつもっているだろう
蓬萊山に遠くには いつも寒気があるだろう
だがこの手に天下を 引っ下げてゆけないのなら
どうして私だけが行って 寛ぐことができようか
⊂ものがたり⊃ 王令(おうれい:1032ー1059)は揚州広陵(江蘇省揚州市)の人。曽鞏よりも十歳あまり若く、若くして学問に励み『論語注』『孟子講義』を著します。王安石がその才能と学識の高さに驚き、自分の妻呉氏の妹と結婚させました。しかし、仁宗の嘉祐四年(1059)に夭折してしまいます。享年二十八歳の若さでした。
詩題の「暑旱」(しょかん)は暑さとひでり。その苦しみを詠う詩ですが、天下を憂える比喩があります。詩には激しさがあり、梅堯臣・蘇舜欽の詩風をつぐものでしょう。はじめの二句は「清風」と「落日」を用いて暑さを描きます。
中四句のはじめの対句では人は「江海」の尽きるのを恐れ、天は「河漢」の涸れるのを惜しむと旱害を憂えます。つぎの対句では伝説の「崑崙」山と「蓬萊」山を持ち出して、神仙界には雪や寒さが残っているらしいといいます。
そして結びでは、もしそんなところがあったとしても、「天下」(世のなか全体)を引き連れて行くのでなければ、ひとりで寛ぐようなことはしないと民を思う心情を詠います。政事改革を求める若者の熱気がこもる作品です。
暑旱苦熱 暑旱 熱きに苦しむ
清風無力屠得熱 清風(せいふう) 熱を屠(ほう)り得(う)るに力(ちから)無く
落日着翅飛上山 落日(らくじつ) 翅(つばさ)を着けて 飛んで山に上(のぼ)る
人固已懼江海竭 人 固(もと)より已(すで)に江海(こうかい)の竭(つ)きんことを懼(おそ)れ
天豈不惜河漢乾 天 豈(あ)に河漢(かかん)の乾くを惜(おし)まざらんや
崑崙之高有積雪 崑崙(こんろん)の高きに 雪を積む有り
蓬萊之遠常遺寒 蓬萊(ほうらい)の遠きに 常に寒(かん)を遺(のこ)す
不能手提天下往 手に天下を提(ひっさ)げて往(ゆ)くこと能(あた)わずんば
何忍身去游其間 何ぞ忍(しの)びん 身 去(ゆ)きて其の間(かん)に游ぶに
⊂訳⊃
涼しい風も 暑さを根だやしにする力はない
夕陽は翼をつけたように 山上にとどまっている
人は川や海が干上がってしまうのを恐れ
天は天の川が涸れてしまうのを惜しむはずだ
崑崙山の頂には 雪がつもっているだろう
蓬萊山に遠くには いつも寒気があるだろう
だがこの手に天下を 引っ下げてゆけないのなら
どうして私だけが行って 寛ぐことができようか
⊂ものがたり⊃ 王令(おうれい:1032ー1059)は揚州広陵(江蘇省揚州市)の人。曽鞏よりも十歳あまり若く、若くして学問に励み『論語注』『孟子講義』を著します。王安石がその才能と学識の高さに驚き、自分の妻呉氏の妹と結婚させました。しかし、仁宗の嘉祐四年(1059)に夭折してしまいます。享年二十八歳の若さでした。
詩題の「暑旱」(しょかん)は暑さとひでり。その苦しみを詠う詩ですが、天下を憂える比喩があります。詩には激しさがあり、梅堯臣・蘇舜欽の詩風をつぐものでしょう。はじめの二句は「清風」と「落日」を用いて暑さを描きます。
中四句のはじめの対句では人は「江海」の尽きるのを恐れ、天は「河漢」の涸れるのを惜しむと旱害を憂えます。つぎの対句では伝説の「崑崙」山と「蓬萊」山を持ち出して、神仙界には雪や寒さが残っているらしいといいます。
そして結びでは、もしそんなところがあったとしても、「天下」(世のなか全体)を引き連れて行くのでなければ、ひとりで寛ぐようなことはしないと民を思う心情を詠います。政事改革を求める若者の熱気がこもる作品です。