北宋36ー蘇舜欽
覧 照 覧 照
鉄面蒼髯目有稜 鉄面(てつめん) 蒼髯(そうぜん) 目に稜(かど)有り
世間児女見須驚 世間の児女(じじょ) 見て須(すべから)く驚くべし
心曾許国終平虜 心(こころ) 曾(かつ)て国に許し 終(つい)に虜(りょ)を平げんとするも
命未逢時合退耕 命(めい) 未(いま)だ時に逢(あ)わず 合(まさ)に退いて耕(たがや)すべし
不称好文親翰墨 称(かな)わず 文を好んで翰墨(かんぼく)に親しむに
自嗟多病足風情 自ら嗟(なげ)く 病(やまい)多くして風情(ふうじょう)足(た)れるを
一生肝胆如星斗 一生の肝胆(かんたん) 星斗(せいと)の如し
嗟爾頑銅豈見明 嗟(ああ) 爾(なんじ) 頑銅(がんどう) 豈(あ)に見て明らかならんや
⊂訳⊃
鉄のような顔 灰色の髯 鋭いまなざし
世の女子供は ひとめみて驚くだろう
心は国に捧げ 敵を平定しようとしたが
運命は時流に合わず 隠退して畑仕事だ
文学を好み 筆に親しむ生活は似合わないのだが
からだが弱く 憐れむ心の多過ぎるのを嘆いてもきた
だが私の精神は 大きな星のように耀いている
愚かな銅の鏡は 私の本質までは映せないのだ
⊂ものがたり⊃ 激情のほとばしるような古詩と七言絶句の繊細な感性、それがどこからくるのか、蘇舜欽自身の自己分析があります。詩題の「覧照」(らんしょう)は鏡に映った自分の姿という意味です。李白にも「白髪三千丈」の詩があり、李白に倣って鏡に映った自画像を詠います。
まずはじめの二句で自分の顔を三語で描き、女子供はひとめみて驚くだろうといいます。つぎの二句はそんな顔になった理由です。「国に許し」は国に捧げたということ。「虜」は敵ですが、ここでは政事改革に反対する者のことでしょう。政事改革に志したけれども時流にあわず、辞職して畑仕事をする身になったと懐古します。
つぎの二句は自分の一面で、「称わず」は似合わないことです。文学に親しむ生活は自分の性に合わないのだが、病気がちで「風情」(憐れみの心)が過分に備わっていたこともあって心に染まない文学に親しんできたと詠います。
最後の二句はまとめで、「肝胆」は精神でしょう。自分の精神は生涯大きな星のように耀いている。つまり改革の情熱は生きているといいます。「頑銅」は愚かな銅の鏡のことで、鏡に呼びかけて、鏡は自分の本質までは映しだせないのだと決意を述べるのです。
覧 照 覧 照
鉄面蒼髯目有稜 鉄面(てつめん) 蒼髯(そうぜん) 目に稜(かど)有り
世間児女見須驚 世間の児女(じじょ) 見て須(すべから)く驚くべし
心曾許国終平虜 心(こころ) 曾(かつ)て国に許し 終(つい)に虜(りょ)を平げんとするも
命未逢時合退耕 命(めい) 未(いま)だ時に逢(あ)わず 合(まさ)に退いて耕(たがや)すべし
不称好文親翰墨 称(かな)わず 文を好んで翰墨(かんぼく)に親しむに
自嗟多病足風情 自ら嗟(なげ)く 病(やまい)多くして風情(ふうじょう)足(た)れるを
一生肝胆如星斗 一生の肝胆(かんたん) 星斗(せいと)の如し
嗟爾頑銅豈見明 嗟(ああ) 爾(なんじ) 頑銅(がんどう) 豈(あ)に見て明らかならんや
⊂訳⊃
鉄のような顔 灰色の髯 鋭いまなざし
世の女子供は ひとめみて驚くだろう
心は国に捧げ 敵を平定しようとしたが
運命は時流に合わず 隠退して畑仕事だ
文学を好み 筆に親しむ生活は似合わないのだが
からだが弱く 憐れむ心の多過ぎるのを嘆いてもきた
だが私の精神は 大きな星のように耀いている
愚かな銅の鏡は 私の本質までは映せないのだ
⊂ものがたり⊃ 激情のほとばしるような古詩と七言絶句の繊細な感性、それがどこからくるのか、蘇舜欽自身の自己分析があります。詩題の「覧照」(らんしょう)は鏡に映った自分の姿という意味です。李白にも「白髪三千丈」の詩があり、李白に倣って鏡に映った自画像を詠います。
まずはじめの二句で自分の顔を三語で描き、女子供はひとめみて驚くだろうといいます。つぎの二句はそんな顔になった理由です。「国に許し」は国に捧げたということ。「虜」は敵ですが、ここでは政事改革に反対する者のことでしょう。政事改革に志したけれども時流にあわず、辞職して畑仕事をする身になったと懐古します。
つぎの二句は自分の一面で、「称わず」は似合わないことです。文学に親しむ生活は自分の性に合わないのだが、病気がちで「風情」(憐れみの心)が過分に備わっていたこともあって心に染まない文学に親しんできたと詠います。
最後の二句はまとめで、「肝胆」は精神でしょう。自分の精神は生涯大きな星のように耀いている。つまり改革の情熱は生きているといいます。「頑銅」は愚かな銅の鏡のことで、鏡に呼びかけて、鏡は自分の本質までは映しだせないのだと決意を述べるのです。